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五月

だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか 光森裕樹

歌集『鈴を産むひばり』(港の人)より

おばんです。

ご無沙汰しております。久々の更新。

今日は五月に入ったという事でこの歌。

人の一生を四季にたとえて「青春・朱夏・白秋・玄冬」と言います。

それで言うと「五月」は、青春と朱夏のあいだ、大人になりかけの時期、という感じでしょうか。

旧暦の場合だと五月はもう梅雨に入っているわけですが(「五月晴れ」がもともと梅雨の合間のわずかな晴れ間の事を指す言葉だったというのは有名な話)、現在の五月は、一年で最も過ごしやすくて明るい季節だと思います。東北だとまだ桜が咲いてたりしますし。

厳しい夏を迎える前の、どんよりとした梅雨に入る前の、青春の最後の輝きのような、そんな五月。

・・・俺には無かったなあ、五月。

そんなわけで今日はここまで。楽天イーグルスの中継ぎ投手陣に絶望したりもするけれど、俺は元気です。またぼちぼち更新していこうと思います。では、おやすみなさい。
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自己顕示欲とかそんなの

かくのごと青春は過ぎぬ この、いくら擦っても点かない百円ライター 斉藤光悦

歌集『群青の宙』より

おばんです。

最近めっきり短歌を詠まなくなりました。まあ元々超絶マイペース野郎なんで、「何もやる気が出ない時は何もやらないに限る!」という考えのもとに日々だらだらと過ごしているわけですが、にしても昔はもうちょっと焦ったり頑張ったりしてたような気がしなくもないです。

自己顕示欲とか承認欲求とかそんなの。若い頃はそれこそ渇望と言っていいほど持っていた筈ですが、近頃はもう、ほとんど失ってしまった。渇望しても結局得られない、という現実に心が耐えられなかったのかもしれません。

創作意欲なんてぶっちゃけ孔雀の羽根みたいなもんで、意中の女性に好かれたいという一心の求愛ダンスみたいなものですから。今の俺はもう、誰に向かって羽根をひらひらさせれば良いのか見失ってしまった状態なので、まあ、やる気も出ませんよそりゃあ。

俺は自分が相当な特殊オナニストだと思っていて、最終的には鏡を見ながらオナニーできるレベルの変態になれる筈だと信じていたわけですが・・・、まあ要するに、読者なんて存在しなくても自分ひとりのために短歌を詠んでいるだけで満足できる人間だと思っていたのですが、どうも、やっぱりそれだと行き詰ってしまうようです。当たり前っちゃ当たり前なんですが。

生きる才能も死ぬ才能も無い人間はどこへ向かえばいいんだろうなあ、などとぼんやり考えつつ。とりあえず明日からプロ野球が開幕するので、それを楽しみにしばらくだらだらと生きます。野球賭博問題が結局うやむやになってしまってる感じなのが気になるところですが。

他人に顕示できるような自己なんてハナから持ってなかったんだという事に気づいた上で、どうやって創作意欲を持続していくか、というのがここ数年の大きなテーマだったのですが、何だか「不可能」という結論に達しそうな感じで少し寂しい。まあ、またそのうちに突然やる気になるんだと思いますが。その時まで、とりあえずだらだらします。ブログも気が向いたら更新します。

認めたり認められたり認めてる人から認められたりしたい

認められない人間が、認められないまま生きていく道はあるだろうか。短歌に限らず、仕事とか恋愛とか色々。徒労と知りつつ虚しい努力を一生続けないといけないのか。俺の羽根はもうボロボロだよ・・・。

では、また。おやすみなさい。

5年目

おばんです。東日本大震災から5年目の3月11日。

更新するとは言ったものの何を書こうか考えがまとまらず、いっそ悪ふざけして馬鹿なことを書こうか、とも思ったのですがそれもままならない生真面目さ。結局何を書くかまったく考えてません。どうしよう。

何か思いついたことを適当に書こうと思います。とはいえ、震災当時の思い出話なんかは以前ツイッターとかにも書いたりしたので繰り返しになっちゃうし。うーむ。

俺の地元は岩手県の沿岸北部にある洋野町というところです。まあ実家のある辺りは合併前は海無し村だったので、厳密には沿岸って感じでもないんですけど。夏に帰省すると実家の軽トラ(笑)を疾走させて海までドライブするのが楽しみなのですが、去年は天気が悪くて、鉛色の海がどんよりうねっているのを車窓から眺めるしか出来ず残念でした。一昨年は天気が良くて、海浜公園で海水浴する人たちをのんびり眺めながら缶コーヒーを飲んだり、靴を脱いで波と戯れたりできたのですが。今年はどうだろう。

去年の7月18日付けの河北新報の記事によると、岩手、宮城、福島3県には震災前およそ70ヵ所の海水浴場があったそうですが、去年海開きをしたのはそのうちのたった14ヵ所だそうです。記事はこちら

いつも通り海水浴が出来るということすら、実は相当な幸運なのかもしれない。というようなことを考えたり。

そういえばZUU onlineというサイトで発表された「東北住みたい街ランキング」で岩手県大船渡市が3位に入っていてちょっと驚きました。大船渡には学生の頃だか社会人なりたての頃だかに一度行ったことがあるだけ。それも、ただ単に「行ったことが無いから行ってみようぜ!」というノープランの遠征で、ほとんど車から降りもせず丸一日かけて大船渡~陸前高田あたりをぐるぐるして日帰りするという、若さゆえの過ちとしか言いようの無い旅で行っただけ。陸前高田市なんてただ通過しただけで降り立ってすらいないんじゃなかろうか…。いつかもう一度行ってみたいものです。

しかし、実際問題沿岸市町村は住むには結構不便だと思います。俺の地元あたりもそうだし、県南も、たぶん。たとえば大船渡には盛岡からバスが出ているのですが、片道3時間、往復券で4000円かかるらしい。ちなみに盛岡ー仙台間が高速バスで片道2時間半、往復券5000円です。大船渡ー仙台も調べてみたのですが、バスだと片道4時間(一関市を経由するため時間がかかるらしい)、往復券4400円。大変だ…。

そういう地理的な不便さはありますが、たとえば子育てをするのにはいい環境だろうとは思います。海もあり、山もあり。沿岸は雪もそんなに積もらないし、近隣の住人も(顔見知りには)優しい人が多いです。たぶん。

震災復興。何となく言ってますが、実際問題、どうなれば「復興」なのだろう。死んだ人は戻ってこない。仮に街並みのすべてを震災前の状態に戻せたとしても、住人が戻ってこなければただのゴーストタウンになってしまう。岩手県沿岸の市町村は元々過疎化が進んでいた地域。そして主要産業の農業や漁業も、放射能の影響で大きな被害を受けている。

考えれば考えるほど暗い気持ちになってきます。俺には何も出来ないんですが。ただ、以前と同じように、というのではもうダメなんだろうなあ、と思います。「復旧」ではなく「復興」。それこそ「住みたい」と思えるような新しい街を、可能な限り早く作って欲しいと思います。

・・・ふう。あまり暗いことを考えるとダークな感情に支配されていけませぬ。次からはまた下らないことを書いていこうと思います。短歌も載せようかと思ったのですが特に思い浮かばなかったのでまた今度。そういえば「震災詠」についてもちょっと書きたいことがあったんですが・・・、いまさら思い出してもなあ。もう疲れちゃったんで、覚えてたら来年にでも書きます。

あらためて、亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。では、また。おやすみなさい。

第一回深夜の即詠祭り

おばんです。

ただ今深夜3時49分。あ、50分になった。

これから5時まで、パソコンでだらだら動画でも見つつ短歌を作ろうと思います。思いついたものはここに載せていきます。目標十首。…無理かも。では、とりあえず日課になっている楽天イーグルスの最新ニュースでもチェックして、酒でも飲みながらのんびりアニメでも見ます。短歌出来るかなあ・・・。

Too Late To Die 汽車はいつまでも海辺の町を走り続ける

アルコールで洗えば落ちる魂にこびり付いてる頑固な汚れ

全力でバットを振ったことが無いいつも見逃し三振の恋

そしてまた頼みもしない春が来て君の笑顔を見る羽目になる

絨毯へ堪えきれずに飛び散ったこの寂しさをティッシュで拭う

空の青海のあをにも染まらないたった一羽の鳥になりたい

HDDから君の記憶だけ綺麗に消し去る便利なソフト

ちょっと前まで純白の雪だった泥水を撥ね飛ばしつつ行く

退屈を水で薄めて飲みながら下手な短歌を詠む午前五時


…ただ今午前4時58分。あ、59分になった。残念ながら9首止まり。とはいえ正直予想よりはたくさん詠めたな。5首くらいで止まると思っていた。どれか一首でも気に入ってくれるものがあればいいのですが。ちなみに俺は全部気に入ってますよ(自作大好き!)

では、第二回でお会いしましょう。開催日時は未定ですが。

明日、明後日あたりは更新するか分かりませんが、たぶん、11日には流石に更新すると思います。どんな内容になるかはまったく分かりませんが。では、また。おやすみなさい。

3月のシーン

退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都 栗木京子

歌集『水惑星』より

おばんです。久々の更新。

3月は卒業シーズンということで、今日はこの短歌。まあ厳密には卒業の歌かどうか知らないんですが。退屈を素直に愛せるのはモラトリアムが許されている学生時代の特権だと思う。俺は今でも結構退屈な日々ですが(苦笑)、全然愛せないし。結句もバシッと決まっていていいですね。これが田舎(郷里)から都会へ、だと希望に満ちた感じにはなりますが寂しさが足らず、逆に東京から田舎へ、だと都落ち感が強すぎていけない。京都というのは絶妙のロケーション。ずるい。
調べてみたら作者の栗木京子さんは京都大学卒のようです。となるとやっぱり卒業の歌ですね、きっと。春が来るたび思い出す、大好きな短歌です。

卒業式の思い出、何かあるかなー、と色々思い返してみたのですが、大学はドロップアウトしたので卒業式には出ておらず、高校も、何らかの事情で出席せず。確か、国立の滑り止めで受験した公立大学の後期日程と重なってしまったためだったような。中学校とか小学校になるともはや忘却の彼方で、卒業式の思い出なんてほとんど残ってないですね。というか、俺は「お昼寝の時間に一人騒いで周りに悪影響を及ぼすから」という理由で幼稚園を中退しているのだった。そりゃあ卒業式の記憶なんて残ってないはずだわ。むしろ小学校以降の記憶があるのが驚きだ…(幼稚園には半年ぐらい?後に復学しましたw 協調性が無いのは生まれつきで、結局治らなかった)

そういえば、卒業式が終わった数日後に学校に卒業証書を取りに行きましたね。職員室で、担任の教師から証書を授与されて、その場に居た教師達から拍手してもらって。晒し者になってるようで恥ずかしくて嫌だったけど、でも少し嬉しかった。年間200日遅刻する問題児の俺が国立大学に合格して心底ホッとしてた担任の高橋先生、俺結局大学辞めちまったよ。遅刻癖も治らなかったよ…。

三月が僕の部屋にも訪れて別れ支度を済ませと迫る

自作も一首。「食器と食パンとペン」さんにイラストを付けてもらったのがとても嬉しかった。最近ずっと不調でロクに新作も出来ないのですが、何とかまたいろんな人に届くような短歌を詠めたら、と思ってます。では、また。おやすみなさい。
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