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5年目

おばんです。東日本大震災から5年目の3月11日。

更新するとは言ったものの何を書こうか考えがまとまらず、いっそ悪ふざけして馬鹿なことを書こうか、とも思ったのですがそれもままならない生真面目さ。結局何を書くかまったく考えてません。どうしよう。

何か思いついたことを適当に書こうと思います。とはいえ、震災当時の思い出話なんかは以前ツイッターとかにも書いたりしたので繰り返しになっちゃうし。うーむ。

俺の地元は岩手県の沿岸北部にある洋野町というところです。まあ実家のある辺りは合併前は海無し村だったので、厳密には沿岸って感じでもないんですけど。夏に帰省すると実家の軽トラ(笑)を疾走させて海までドライブするのが楽しみなのですが、去年は天気が悪くて、鉛色の海がどんよりうねっているのを車窓から眺めるしか出来ず残念でした。一昨年は天気が良くて、海浜公園で海水浴する人たちをのんびり眺めながら缶コーヒーを飲んだり、靴を脱いで波と戯れたりできたのですが。今年はどうだろう。

去年の7月18日付けの河北新報の記事によると、岩手、宮城、福島3県には震災前およそ70ヵ所の海水浴場があったそうですが、去年海開きをしたのはそのうちのたった14ヵ所だそうです。記事はこちら

いつも通り海水浴が出来るということすら、実は相当な幸運なのかもしれない。というようなことを考えたり。

そういえばZUU onlineというサイトで発表された「東北住みたい街ランキング」で岩手県大船渡市が3位に入っていてちょっと驚きました。大船渡には学生の頃だか社会人なりたての頃だかに一度行ったことがあるだけ。それも、ただ単に「行ったことが無いから行ってみようぜ!」というノープランの遠征で、ほとんど車から降りもせず丸一日かけて大船渡~陸前高田あたりをぐるぐるして日帰りするという、若さゆえの過ちとしか言いようの無い旅で行っただけ。陸前高田市なんてただ通過しただけで降り立ってすらいないんじゃなかろうか…。いつかもう一度行ってみたいものです。

しかし、実際問題沿岸市町村は住むには結構不便だと思います。俺の地元あたりもそうだし、県南も、たぶん。たとえば大船渡には盛岡からバスが出ているのですが、片道3時間、往復券で4000円かかるらしい。ちなみに盛岡ー仙台間が高速バスで片道2時間半、往復券5000円です。大船渡ー仙台も調べてみたのですが、バスだと片道4時間(一関市を経由するため時間がかかるらしい)、往復券4400円。大変だ…。

そういう地理的な不便さはありますが、たとえば子育てをするのにはいい環境だろうとは思います。海もあり、山もあり。沿岸は雪もそんなに積もらないし、近隣の住人も(顔見知りには)優しい人が多いです。たぶん。

震災復興。何となく言ってますが、実際問題、どうなれば「復興」なのだろう。死んだ人は戻ってこない。仮に街並みのすべてを震災前の状態に戻せたとしても、住人が戻ってこなければただのゴーストタウンになってしまう。岩手県沿岸の市町村は元々過疎化が進んでいた地域。そして主要産業の農業や漁業も、放射能の影響で大きな被害を受けている。

考えれば考えるほど暗い気持ちになってきます。俺には何も出来ないんですが。ただ、以前と同じように、というのではもうダメなんだろうなあ、と思います。「復旧」ではなく「復興」。それこそ「住みたい」と思えるような新しい街を、可能な限り早く作って欲しいと思います。

・・・ふう。あまり暗いことを考えるとダークな感情に支配されていけませぬ。次からはまた下らないことを書いていこうと思います。短歌も載せようかと思ったのですが特に思い浮かばなかったのでまた今度。そういえば「震災詠」についてもちょっと書きたいことがあったんですが・・・、いまさら思い出してもなあ。もう疲れちゃったんで、覚えてたら来年にでも書きます。

あらためて、亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。では、また。おやすみなさい。
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バレンタインはロッテの元監督

おばんです。

昨日はバレンタインデイでしたね。皆さま無事チョコレートは貰え(渡せ)ましたか。

毎年この日になると、俺の中の思春期の亡霊が騒ぎやがるので困ります。

さて。今日はバイトの子が「バレンタインって差別だと思うんすよ!」と吼えていたので、(そうかー、チョコ貰えなかったのかー)と思いつつ、そのことについてちょっとだけ考えてみようと思います。

バレンタインデーが差別であるかないか、という点については、そんなもん、差別に決まってるじゃないか、と思います。チョコレートを貰える人と貰えない人がいる、それが差別でなくて何なのか。

しかし、世の中そんなもんだろう、とも思うのです。競走すればトップとビリが出る、勉強すれば天才と馬鹿に分かれる、面白いやつもいればつまらないやつもいる、オシャレな人もいるしダサい人もいる、それと同じようなもんでしょう。中にはビリでつまらなくてダサいやつも居るわけです。…俺だ(学力は普通)。

本人ではどうにもならない点で差別が生じるのは良くない。生まれがどうの、性別が何だ、肌の色がどうした、とか。そういうのは良くない。家が貧乏だから進学できないとか、障害があるから仕事が無いとか、そういうのも、出来る限り何とかして欲しい。

だけど、能力によって差が生じてしまうのは、これはもうしょうがない。徒競走で全員並んでゴールさせたりとか、テストの結果を非公開にしたりとか、そんなのは馬鹿馬鹿しいと思う。そういう風にして「出来ない奴」のほうの水準に合わせるのが正しいというなら、世の中のイケメン全員に逆整形手術を受けさせて俺と同じ程度の顔面にしろよ。じゃないと不公平だろ。・・・というのはもちろん冗談ですが。

努力ではどうにもならない世界に俺たちは生きている。外見だけではありません。運動能力だって勉強だってそうです。どんなに頑張ったって100m10秒で走るのは無理だし、東大に入るのも無理だ。だからって終わりでも何でもなく、スキマ産業的に、自分の居場所をどこかに見つけて生きていくことができれば、それでいいじゃないか、と思います。

だから、バレンタインデイがいかに差別的なイベントであろうと、それはもうしょうがない事と諦めるしかないんじゃないかと。この世に数限りなくある差別のなかのひとつに過ぎません。華麗にスルーして、自分が輝ける瞬間をいつまでも待ち続けるのみ。いつかチョコをくれる人が現れるかもしれないし、現れなくても…、ね、まあ、しょうがないよね。

美醜の感覚は個人差が大きいので、美男美女だから得だとは一概に言い切れないところもありますが、それでも、100人中90人が美しいと思う顔に生まれた人と、90人が不細工だと思う顔に生まれた人とでは、冗談でなく住む世界が違うだろうと思います。美男子の見る世界がどんなもんか、単純に興味はありますが、それを見る術はない。独りワイルドサイドを往くのみ。

大丈夫、モテなくて死んだ人は居ない(自殺を除く)

それはそうと、以前ヤフー知恵袋か何かで「バレンタインデイを祝日にすべき」というような意見を見て、えらく感心した記憶があります。もちろん回答者の方も冗談半分で言っているのだとは思うのですが。バレンタインを祝日にすれば、チョコを貰う(渡す)相手の居る人は勝手にデートでも何でもすれば良いし、そうでない人は家に引きこもっていてもいい。祝日だと思えば穏やかな気持ちで過ごせるだろうし、何より、学校や職場に向かう際に否応無く抱いてしまう淡い希望と、それが案の定無に帰した時の砂を噛むような気持ち、あれを味わわなくて済むというのが大きい。自分がモテないことを自覚して、不細工沼で泥水をすすったり苔を食べたりして大人しく過ごしている心優しきモンスターたちが、年に一回、自分の境遇の惨めさを改めて思い知らされて、沼の水がちょっとしょっぱくなる日。バレンタインはそういうイベントと化してしまっている面がありますが、休日になればそれもだいぶ改善されるはず。バレンタインデイは祝日にしましょう。

ところで女子にとってはバレンタインってどういうイベントなのだろう。まあ男子同様「人による」と言うしかないんだろうけど、そんなに楽しいばかりじゃないですよね、きっと。渡したい相手に既に彼女が居たりとか。切ない。そんな時は俺にくれるといいですよ。俺は義理チョコ撲滅論者ですが、義理の欠片も無い人から人情でチョコを貰うぶんには随時受け付けております。バレンタインデイに限らず1年24時間受付中です。よろしく。

差別するとかされるとか、そういう話は非常にデリケートなんで出来れば避けたい話題のひとつなんですが、思いつきでちょっと書いてみました。そんなに複雑なことは考えてなくて、単に、頭がいい人はどんどん出世して世の中を豊かにしていけばいいし、運動が得意な人は金メダルを取れればいいなあと思うし、美男美女はモテればいいじゃない、と思う、という、単にそれだけの話です、はい。

さすがにもういい歳なので、バレンタインだからって一々反応したくないんですよ、本当は。いい加減思春期の亡霊を成仏させたくて、お経代わりにこの記事を書いてみました。首尾よく浄化が済めば、来年以降はグダグダ言わなくなっているはず。乞うご期待。

では、おやすみなさい。

タダより高いものは無い

おばんです。

俺が創刊号から参加させて頂いている同人誌『短歌雑誌ネガティヴ』の最新號がこのたび発行されました。ただ今無料配布の受付期間中です。1/24(日)まで。申し込みはこちらからお願いします。→ https://system.formlan.com/form/user/negative57577/1/
※受付は終了しました。たくさんの申し込みありがとうございました。

さて。「無料配布」というと、色々な反応をされます。多いのは「タダで送ってもらうなんて申し訳ない」というもの。次いで「無料は良くない。ちゃんと制作費に見合った金額を付けるべきだ」というもの。あと、はっきり言われたことは無いですが「タダなんて怪しい。何か良からぬ企みがあるに違いない」というのもおそらくあるでしょう。

それらの意見や疑問に対して、ちょっと思うところを書いてみます。ただし、以下の文章はあくまで俺個人の考えであって、『ネガティヴ』編集部の総意ではないことをあらかじめお断りしておきます。

まず、俺は同人誌でも何でも、一般に広く配布する創作物にはなるべく適正な価格を付けて売るべきだ、と思っています。なんでもかんでも無料にすればいい、とはちっとも思わない(慢性的に金欠なので、そうなってくれればいいなーと妄想したりはしますが)。

ではなぜ『ネガティヴ』は無料なのか、というと、一言で言うと「作る側のワガママ」なのです。

『ネガティヴ』は元々、発行部数10部くらいのぺらっぺらのコピー誌でした。参加メンバーが一人一冊ずつ手にして、それで終了、というような。そんなものを何でわざわざ作ったかというと、ひとえに自己満足の為、それ以外の何物でもないのです。

仲間内でわいわい言いながら楽しむためのアイテム。男子校の文化祭みたいなノリで出来たのが『ネガティヴ』のはじまりです。初期メンバーは全員共学でしたが。女子に縁の無い者達の集まりだったもんで・・・、ほっとけ。

何で短歌雑誌になったかというと、その時興味を持っていたのが短歌だった、というそれだけのことで、時期が違えば全然別ジャンルの本を作っていたでしょう。つまり我々にとって一番大事だったのは「やりたい放題やれる場所」であって、その表現方法が短歌だったのは必然ではなく偶然なのです。はっきり言って。

なので、『ネガティヴ』の理想は「優れた短歌同人誌」よりも「世界一面白いチラシの裏の落書き」だったりします。そこを全力で目指している。

お金をいただく、というのには、当然責任が生じます。買ってくれた人に満足してもらえる内容にしなければいけない。今の方向性でそれをやるということは、当然「優れた短歌同人誌」を目指す、ということです。チラ裏ではなく。

しかし我々はそこを目指したくはない。むしろもっとチープに、もっとくだらないものにしていきたい。

「優れた短歌同人誌」なら世の中にたくさんあります。そして、もし我々がそこを目指したとしても、一流のクオリティには決して辿り着けないでしょう。そういうのは読者として楽しむだけで充分です。

参加者が増えたおかげで、収録されている短歌の質・量ともに格段に向上しました。それには感謝しかないのですが、個人的には、もっとどうしようもない失敗作や破滅的な実験作がたくさん載っていてほしい。そしてそれを全力で小馬鹿にしたい!というのは冗談ですが、もっと雑多な作品の受け皿になりたいな、という思いは常にあります。求む下手な人!(本音です)

そんなわけで、『ネガティヴ』のネガティヴたるところは、短歌よりもむしろ、チープな表紙や、真っ直ぐ刺さっていないホチキスや(歪んでるのは大抵俺が留めたやつです。済まぬ)、ネガティヴ/ポジティヴ通信などの短歌以外の記事、そして全体に漂うぐだぐだ感だったりします。

そして、その味を出すためには無料でなければならないのです。お金をいただく事のプレッシャーに、我々が耐え切れない。

発行者であるロンドン太郎氏は言うに及ばず、編集に参加しているカリフラ沢ブロッ子氏や海野もずく氏の金銭的負担は少なからざるものがあるようですが、俺の懐はまったく痛んでいないので何の心配も要りません(おい)。皆もネガティヴ編集部に励ましのお便りを出そう!

…しかし揃いも揃ってなんてペンネームだ。馬鹿の集まりか。

そんなわけで、『短歌雑誌ネガティヴ』は今のところ無料なのです。ただし、俺への個人的な献金はいつでも受け付けてますので何卒よろしく。そんなこんなで今日はこれまで。おやすみなさい。

New Wing

おばんです。

11月の終わり頃から12月の頭まで入院しておりました。

ある日の晩、特に変なものも食べてないのに下腹部の激痛で身動きが取れなくなり、止むを得ず救急車を呼んで近所の総合病院へ。

どうも小腸に穴が開いて、そこから腸全体に炎症(?)が広がっていた模様。搬送されたその日に即手術→そのまま入院と相成りました。

幸い経過は順調で、今は退院し自宅で静養しております。

しかし色々とタイミングの悪い入院でした。

入院したのは勤労感謝の日(月曜日)。昼間、金をおろしに銀行に行ったらお休みで、(まあ明日でいいやー)と思っていたらその日の夜に緊急入院となってしまった為、財布に小銭しか入っていないという悲しい事態に(笑)。
しかも家族は皆離れた場所に住んでいて、見舞いに来られるのは早くても週末。急な腹痛で何も準備出来なかったので、着替えも無く、髭剃りも無く、スマホの充電器もない。病院の地下にあるATMまで行く体力も無いので、備え付けのテレビを見るためのプリペイドカードを買う金も無い(悲)
木曜日にスマホの充電が切れてからというもの、土曜日に家族が見舞いに来てくれるまでの二日間はとにかくやることが無くて、髭もじゃのまま丸一日天井の模様を眺めて過ごしてました。暇で死ぬんじゃないかと思いましたね・・・。

月末だったので仕事も忙しかったのですが大穴を開けてしまい、家賃の支払いも遅れ、挙句全然届かなかったマイナンバーが入院中に来ていたようなのですが、郵便局の取り置き期間が退院日の前日までだったという・・・。わざわざ市役所に取りに行かなきゃならんのね。

そして何より金が無い。治療費の支払いも苦しいし、休んでる間の生活費もままならない。さっさと職場復帰したいものですが、まだまだ体力が戻ってなくて、今日なんかも1時間ぐらい外出しただけで電池が切れて半日近く何も出来なくなる有様。元通りの生活を取り戻すにはもうちょっとかかりそうです。

まあ何にせよ健康が最大の財産よね。皆さんも体調管理にはくれぐれも気をつけてください。毎晩酔いつぶれるまで焼酎を飲んだりしてちゃ駄目ですよ。

あ、15日になった。ハッピーバースデイ俺。入院中に誕生日を迎えるようなことにならなくて、まあ良かったのかな。では、また。

二つの甲子園と2015年の夏について(その2)

おばんです。

昨日中途半端になったので、今回も甲子園の話を書こうと思います。

何と言っても清宮の魅力は・・・、あ、そっちはもういい?
まあねえ。野球経験の無い素人の語る野球談義なんて退屈の極みだわな。

さて気を取り直して。今回取り上げるのは同じ「甲子園」でも野球ではなく短歌のほう。
高校野球は今年で100年目ということで大々的に取り上げられていましたが、こちらも、桁はひとつ違うものの今回で10回目の節目となる「短歌甲子園2015」を見てきたので、その感想などをちょっと書こうと思います。

と、その前に余談をひとつ。「短歌甲子園」という大会は同時期に二ヶ所で開催されてます。
岩手県盛岡市で開催されているものと、宮崎県日向市で開催されている「牧水・短歌甲子園」です。俺が見てきたのは盛岡でやったほう。

ややこしいからどっちか名称を変えればいいのに、と思うんですよね。そうすれば一々こんな注釈を書かなくても済むんですが。特に今年は開催日も重なったりしてちょっと混乱しました。

そもそも高校生の大会だからってだけで何にでも「~甲子園」って付けるのが嫌いなんですよ。甲子園でやるわけでもないのに。調べてみたら宮崎の大会は今回5回目のようですが、それだと、当然岩手でも短歌甲子園をやってるのは知っていたはず。

・・・何が何でも「甲子園」って付けたかったのかなあ。理解に苦しむ。

あ、別に起源主張がしたいわけではないです。そもそも「~甲子園」的なネーミングが気に入らないってだけの話。「啄木短歌大会」とか「牧水短歌大会」ではダメなのだろうか。

あと、どうせなら開催時期も半年ずらすとかすれば、どちらの大会にも出られていいのになあ、とも思いますね。その辺上手いことやればいいのに。

まあ、それはどうでもいい話でした。

さて、短歌甲子園。俺が見に行ったのは8月21日(金)でした。本当は20日も見に行くつもりだったんですが、本家本元の甲子園で仙台育英が決勝まで残ったので急遽そっちの応援(無論テレビで)をすることにしたのでした。なお結果は・・・。でも、本当にいい試合だった。

そんなこんなで21日。いつものように寝坊した俺がバスに揺られて会場の盛岡劇場に着くと、ちょうど団体戦の二回戦が始まるところでした。タイミングばっちり。受付でパンフレットと個人戦の全投稿作品を一覧にしたプリントを手に入れて、ニヤニヤしながら会場入り。場内は参加者とその関係者と思しき人がほとんどで、部外者は俺ひとりなんじゃないかというような雰囲気。何となく悪いことをしているような気分で隅っこの席に陣取り、二回戦の詠草と審査員との質疑応答をチェックして(これは赤の勝ちだな)などと無責任なことを考えつつ、個人戦の作品にも一通り目を通します。誰からも頼まれてないのに大忙し。

そうそうルール説明。団体戦は三人一組の紅白戦。参加者は決められたお題に沿った短歌を交互に発表し、審査員との質疑応答を経て、最終的には五人の審査員の投票により優劣が決する、というシステム。二勝したチームが勝ち上がりです。

もちろん高校生の作品なので結構デキにばらつきがあります。こちらが唸るような凄い短歌もあれば、着眼点は面白いのに言いたいことが上手く纏まっていないものもある。

しかしそのどれにも高校生にしか詠めないような機微、十代でなければ出てこない発想や思いが込められているようで、最早四十代間際のオッサンとしては胸が熱くなるんですよ。

俺も高校生の頃に短歌を始めたかった。そして美人の先輩にマンツーマンで指導されたかった。句跨がったり句跨がられたりしたかった。そして「あなたって字余りね」って言われたかった…!

やっぱり俺も高校生の頃に短歌を始めたかったなあ。そして盗んだ俳句を賞に出したり、束ねた短冊で夜の校舎窓ガラス壊して回ったり、軋むベッドの上で優しさを持ち寄ったりしたかった…!


というような気分になるわけです。因みにこれは去年の短歌甲子園を見たあとのツイッターへの書き込み。トチ狂ってますね。

まあそれはそれとして。
俺も一応短歌を詠むので、エア審査員として作品を見ているわけですが、残念ながら勝敗予想は結構外します。これは俺に見る目が無いのではなく、敗れた高校生の作品にも光るところがあったという事なのでお間違えなく。審査では負けたかもしれないが、その短歌の良さ、俺にはちゃんと分かってるぜ!何の足しにもならないけどな!

さて。それではいくつか短歌を紹介してみませう。パンフレットには「ホームページ・ブログなどへの転載については、本大会で作られた作品である旨を明記のうえ、掲載することを認めます」と書いてあるので問題無いとは思いますが、もし何か問題があったら対応しますのでご連絡をお願いします。あと作者や学校の関係者で「名前を出されると困る」というような場合にも、即刻削除しますので連絡してください。

では。

悪気なく決めた
明日君と話せたら
ギターができると嘘をつこうと (水戸葵陵高等学校 戸田志門)


話題賞を獲得した作品。題は[嘘]だったと思います(曖昧で済みません)。「悪気なく」が面白いです。
同じ作者の作品では

黒板の数式
にょきにょきのびてゆく時
ぼくがただ遠く見ていたい時 (茨城県 水戸葵陵高等学校 戸田志門)


も好きでした。こちらの題は[時]。「にょきにょき」がいいですね。みるみる成長して、どんどん異形の怪物になっていく数式。そりゃ近づいちゃいけません。

あ、そういえば。岩手県の短歌甲子園では作品はすべて三行書きで発表されます。石川啄木に因んだ大会だからってことでしょうね。基本的に短歌は一行書きのほうがすきなのですが、どの句で行を分けるかというところにも作者の工夫が感じられて、これはこれで面白い。

ベトナムの森に鉛を撃ちし祖父
水鉄砲で
我と戯る (青森県立八戸高等学校 ガルブレス・サムエル)


啄木賞を受賞した作品です。題は分かりません。申し訳ない。

この歌、会場で見たときは「結句が啄木の本歌取りになってるんだな、上手いな」としか思わなかったのですが、上の句「鉛を撃ちし」も「訛りなつかし」とかかってるんですね。祖父との思い出をもとに、深いテーマをさらっと歌いつつこんな遊びまで。上手いなあ。

「初めて私、貴女に嘘をつきました。」
白い光が滑って
いった (茨城県 水戸葵陵高等学校 矢澤愛実)


特別審査員を務められた歌人の小島ゆかりさんから「小島ゆかり賞」に選ばれた作品です。題は[嘘]。あえて硬質な表現を使って、瞬間的な心の揺れを上手く歌っています。鍵括弧や行分けの工夫も効果的。

最後に個人戦で一位となった作品を二首紹介します。

まだ君は眠っているだろう
静けさの
自転車置き場は海に似ている (岩手県立盛岡第四高等学校 土谷映里)


題は[似]。個人戦、団体戦を含めたすべての作品の中でも、個人的には今回一番好きな歌でした。下の句が魅力的。

我の名を忘れてしまった祖母は今
微笑んでいる
桜満開 (青森県立八戸高等学校 小川青夏)


こちらの題は[笑]。孫の名前を忘れてしまった祖母への、それでも変わらぬ優しさと愛情。それを直接自分の感情として言うのではなく「祖母が微笑んでいる」「桜が満開である」と、情景描写だけで伝える技術。素晴らしい歌だと思います。

団体戦の優勝は岩手県立盛岡第四高等学校、準優勝は水戸葵陵高等学校でした。楽しかった。来年も行きます。不審者だけど通報しないでね。

そういえば、21日は短歌研究新人賞の受賞作が掲載された「短歌研究」の発売日でもありました。俺は今年は応募してないので何も関係なし。来年獲るからいいけど(一応毎年言う決まり)。

長くなりましたが今日はこの辺で。今から来年の甲子園が楽しみでなりません。野球も、短歌も。

サヨナラといふ勝ち方と負け方がありて真夏の雲流れゆく (小笠原和幸)

小笠原和幸さんも啄木と同じく岩手の歌人。そういえば短歌研究新人賞の受賞者でもありますね。今回のブログの締めに相応しい。大好きな一首。

ではまたそのうち気が向いたら何か書きます。

生きてたらな。

では、おやすみなさい。
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