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短歌結社ネガティヴ活動記録(乱世編・その10)

随分とご無沙汰でありました。まいど、山本左足です。

乱世編を中断していた理由はいくつかあるのですが、最大のものは面倒くさかったということに他なりません。万が一続きを期待している人が居たとしたら済まぬ。

しかし、いくらフィクションと銘打っているとはいえ、やはり実在の人物をモデルにした話ではダイナミックな嘘もつき辛く、何となく事実を羅列しただけの感じになってしまった。改めて読んでみたけど見事につまらない(笑)反省してます。

そういえば、念願の『短歌雑誌ネガティヴ-12號を無事発行できました。

本来なら新刊の発行前にあらかた書き終えている予定だったのです。それに間に合わなかったのもモチベーション低下の一因ですね。まったく、何故こうなった。

とか言ってても始まらないので久々に再開です。今回は山本左足編その1。

余り長くならないようにします。


少し幼少期の話をしたい。

ぼくは岩手県の片田舎に三人兄弟の次男として生まれた。
それはもう天使のように愛くるしく、病的なまでに人見知りをする子どもでありました。
好きなことは読書と昆虫観察と妄想(笑)ひとりでひっそりと遊んでいるのが好きで、友達を大勢作ってわいわいと騒いでいる兄や弟とは正反対の性格だった。

あまり活発に活動しないから食も細く、兄弟の中では際立って貧弱な体格。弟にも、一度も喧嘩で勝ったことが無い。

そんなぼくの事が、母にはとても気がかりだったようだ。

母は学の無い人間で、文章を書かせても訛ってしまうような人だけど、しっかりとした性格で、子どもを思いやる人だ。そしてとても気が強い。

彼女には「自分には学は無いけれど、それでも子ども三人どこに出しても恥ずかしくない立派な男に育てて見せる!」という強烈な決意があった(ちなみに父が無いわけではなく、単身赴任で普段居なかっただけです。念のため)。

母は事あるごとにぼくに言った。「世の中には勉強よりも大事なことがある。本を読んでいても経験できない事がたくさんある。もっとお兄ちゃんや弟を見習って、友達を作って外で遊びなさい」と。

正論である。ぐうの音も出ない。

しかし困ったことにぼくは人間関係が不得意だった。人見知りだったし、酷い妄想癖があった。

運動も苦手で、ほかの子達と同じように動けない。野球でもサッカーでも、下手すぎて仲間はずれだった。

本ばかり読んでいたお陰で、学校のテストなんかではそこそこ優秀な成績をとるのだけれど、母曰く「学校の勉強が出来るのなんて大したことじゃない。お前はもっと身体を鍛えたり、人と接しなきゃだめだ」と。

母に悪気が無いのが分かるだけに性質が悪い。正論なだけに始末におえない。

得意なことを褒めてもらえず、苦手なことばかり責められる。そういう気分だった。

食の細さも母を悩ませていたらしく、ある日からぼくの餌付け(笑)が始まった。もう食べられないと訴えても許してもらえず、ただただご飯を食べさせられた。

兄や弟はスポーツも活発にやるからいいんだけれど、ぼくはとにかく文弱の徒である。積み上げられたカロリーを消費する術も無く、ぼくはひたすら太りに太った。

かくして、十歳になる頃には、どこに出しても恥ずかしい根暗デブの完成をみたわけである。

男子からは馬鹿にされ、女子からは忌み嫌われた。家族からも駄目出しをされ続けたせいで自尊心など持ちようもなく、どんどん卑屈になり、生来の妄想癖にも歯止めが効かなくなった。

そしてそのまま思春期へとなだれ込んだのである。そりゃもう大変である。

ぼくは一生、女の子から相手にされないまま、恋愛も結婚もできずに死んじゃうんだろう、と本気で思った。世の中の女子という女子が、好きで嫌いで憎らしかった。

幼少期のトラウマというのは圧倒的で、正直今でも女性嫌いが少し・・・。あ、もちろん性的にはノーマルですが(だから余計に悲しい)。

生きていてもしょうがないから死のうと思った。急性アルコール中毒というので人が死ぬことがあると知って、父の日本酒をコップ一杯一気飲みしてぶっ倒れた。もちろん死んだりはせず、両親には「水だと思った」と嘘をついた。

小学六年の、夏だった。

(乱世編その11につづく)
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短歌結社ネガティヴ活動記録(乱世編・その9)

前回までのあらすじ。

嘘秋田県にある嘘四年制大学をちゃんと四年で嘘卒業した瀧本だったが、嘘就活に失敗し嘘彼女と別れ、嘘地方紙製作会社を嘘退職した後に嘘親戚の嘘建設会社で嘘労働に勤しむ毎日であったのだが(嘘彼女と嘘就職以外は嘘表記)。

さて、つづき。

建設会社の仕事も不規則かつ不定期で、当時は結構長期間にわたる休業状態になる事も多かったらしい。家で一人やる事も無くぼんやりしていると気が滅入ってくるもので、あの頃の瀧本は温厚な彼とも思えないほど情緒不安定であり、はっきり言って鬱状態だった。

一方その頃周囲の人間達はと言うと、吉澤は職を転々として落ち着きが無く、藤井君は東京でやさぐれ生活で、ぼくはといえば大学を辞めてしまったばかり。
ようするにみんな揃ってロクでもない状況で、人のことを心配している場合じゃないのだけれど、何となく我ら駄目人間コミューンのリーダーになってしまっている瀧本は、自分の心配だけでなく周りの連中の境遇にまで心を痛めてしまったらしい。一時期本当に参ってしまって、鬱病の薬を処方してもらうまでに追い詰められた。

この頃から瀧本は短歌を作り始めているらしい。二首引用する。

会社にて一日地図など眺めおりすることもなし給料もなし

弟の勉強見てやる心やさしき我は無職でただ家に居る


一首目は地方紙製作会社時代、二首目はそこを辞めた直後くらいに作ったものらしい。

にしても、なぜ短歌だったのか。本人に聞いても「なんとなく」というような答えしか返ってこない。心の弱った人を引き付ける力が短歌にあるのは確かだけど、当時の瀧本には「この歌人のこの歌が好きだ!」というようなものもあまり無かったようだし。謎である。

家でぼんやりとしていた失業者の瀧本を見るに見かねてか、一年間の臨時職員として村の診療所で受付の仕事をしないかという話が舞い込んでくる。彼はその仕事を通じて知り合った女性に生涯何度目かの恋に落ち、最終的には携帯電話を着信拒否されるという面白・・・ん、ん、悲しい終わりを迎える事になる。

彼の証言によると、枡野浩一著『かんたん短歌の作り方』(筑摩書房刊)を読んで衝撃を受けたのはその後、臨時職員の期間も終わり恋も終わり、失業保険をもらいながら再び家でぼんやりとしていた頃だそうだ。鬱病が一番酷かったのもその頃だったようである。自分の持て余している鬱屈を吐き出すための最良の手段を、彼はその時ようやく手に入れたのだった。
2001年のことだという。1998年に大学を卒業してから既に3年が経っていた。

ちなみに、迷走に告ぐ迷走の挙句、結局彼は親戚の建設会社に戻り、今もそこで勤めている。最近、また失恋したらしいですよ。・・・幸あれ。
(乱世編その10につづく)

短歌結社ネガティヴ活動記録(乱世編・その8)

題詠がなかなか進まない昨今。完走できる自信が日々少しずつ失われていっておりますが皆様はいかがお過ごしですか。山本左足です。
雨の日に洗濯しても乾かないからやめた方がいいぞ!(豆知識)

というわけで久々の乱世編。前回までのあらすじを忘れてしまった人は、もうそのまま忘れてしまって良いと思うのです。忘れた方がいいことだってあるよね。時々思い出して鬱になったりするじゃないスか。

思い出し笑いとおなじ要領でたまになるんだ思い出し鬱

・・・いや、そんなことを言いたいわけじゃなかった。

えと、瀧本修司編の第三回ですね。始めましょう。数少ない読者の方はご存知のとおり、非常に長くて読みづらいので覚悟のほどをよろしく。

大学時代の瀧本はろくに学校にも行かず、日々酒に溺れ、連日徹夜マージャンに精を出していた・・・はず。むさ苦しい格好で秋田の町を徘徊しては不審尋問をうけるようなパンクな大学生活を送っていた・・・に違いないのだが、なぜかたったの(?)四年で大学を卒業したのは、今に至るも大きな謎である。
しかも大学時代は彼女も居たっぽい。何かがおかしいけど詳細は不明。いろいろと考えた結果、ぼくの中では、たぶん嘘彼女だろうという結論に達している(嘘がばれそうになると急に海外留学したりする、例のやつ。みんなも作ったよね嘘彼女)。

まあなんにせよ、瀧本は最短で大学を卒業したのだが、就活に挫折し、あえなく就職浪人になってしまった(そして彼女にも振られてしまったらしい。踏んだり蹴ったりである)。

時期的に、ちょうど「ロスト・ジェネレーション」とよばれる就職氷河期の真っ最中、特に一番酷い時期だったせいもあるだろう。

瀧本は人並みに就職することが出来ず、秋田から故郷に帰って悶々とした日々を過ごす事になった。一応高校時代の先輩に誘われて地元のミニコミ紙を作る仕事を始めた・・・と本人は言っているが、ぼくは知っている。日々何もやる事なく、朝から晩までその先輩のところでぼーっとしていただけだという事を。それどころか、給料もろくに払ってもらってなかった事を。

そこの家の父親は地元の名士(気取り)で、当時は市長選に出馬する気満々。瀧本はなぜかその父親の手伝いなんかもさせられていたらしい。ほぼ無給で。
なので、ぼくをはじめ親しい友人達のなかでは、その頃の瀧本は「毎日なぜかスーツを着て、車で30分かけて先輩のところに遊びに行き、そこの父親が選挙に出馬するのをボランティアで手伝っている人」だった。

結局一年に満たずにそこも辞めて、瀧本は再びジプシーになった(というか、ぼくの記憶では瀧本とそのミニコミ紙製作会社とのあいだに雇用の契約自体存在しなかったらしい。本当にただのお手伝いさんで、世間的にはずっと無職だと思う)。
因みにミニコミ会社の社長は市長選で惨敗した。これには温厚なぼくも心から「ざまあみろ」と言わざるを得ない。

その後、今度は親戚のコネで建設作業員の仕事に就く。本来瀧本は非常に文弱であって、肉体労働とは縁のない男だったのだが、そんな貧弱な自分を変えてモテモテになりたかったのか、意外と長続きした。
このまま建設作業員として真っ当な生活を送るのかと思いきや、今度は不景気のあおりで建設の仕事がまったく無くなってしまう。
しかしそこは人望のある瀧本、更に更に今度は地元の診療所で受付の仕事を始めることになる(ただし一年契約の臨時職員という、どこまで行っても不安定な仕事)。
その頃またしても熱烈な片想いをしてものの見事に失恋するのだが、それはまた次回。ちなみにこの頃には短歌を作ったり作らなかったりしているようだが、そのへんの話も次回にします。そんでは、また。

短歌結社ネガティヴ活動記録(乱世編・その7)

おはこんばんちは。

井岡一翔と八重樫東のWBA、WBCミニマム級王座統一戦をものの見事に見逃した者です。

完璧に録画予約したつもりが事前番組しか録画してなかったさ。ショックで眠れないので久々に乱世編を書きます。よろしく。

さて。実は先日、瀧本修司のモデルになったT君と会いまして、これまでの間違いやら勘違いやらをあれこれと指摘されたのですが、いちいち訂正していくとキリがないのでとりあえずこのままいきます。十年以上も昔の話なので記憶が不確かになっているところも多いようですが、まあ、基本的にすべてフィクションですので(笑)

ですが一つだけ訂正しておきます。
高校時代、実は、瀧本は片想いの「あの人」に告白していたそうです。という訳で今回はその話を少し。

高校三年の六月。小雨の降る夕暮れに、瀧本は地元の役場前にある電話ボックスから「あの人」に告白をしたのだそうだ。
といっても素直に「付き合ってください」とか、そういう感じではなかったらしい。

実は、高三の頃、「あの人」には付き合っている男がいたのだそうだ。
その彼氏というのが瀧本の友人で、瀧本が長らく片想いに苦しんでいたのは知っていたものの、まさか相手が自分の彼女だとは露知らず、瀧本の事を慰めたり励ましたりしてくれるものだから、なんというか、色々と居たたまれない感じになってしまったらしい。
まあ実際あの頃の瀧本の片想いっぷりたるや、「あの人」の事を考えただけで人目も憚らず泣き出してしまったことがあるほど。よく言えば純情ボーイ。悪く言うのはあえて自重。

なので告白とはいうものの、実際は「気持ちを伝えて、諦めるため」の電話だったのだそうだ。

具体的に「あの人」に何を話したのか、それに対して彼女が何と応えたのか、その辺の詳しい話は残念ながら聞き出せませんでした。取材不足なぼくを許してください。

想像で書いてみようかと少し会話の内容など考えてみたのですが、しばらく妄想した結果「キャー恥ずかしい!」となってしまったので止めます。皆さんも少し妄想してみると良いですよ。青春フィーバーですよ。

なんにせよ、実際はその電話の後も数年間は気持ちを引き摺り続けたわけで、諦めの悪いことこの上ない。まあ、よく言えば一途と言えない事もないかもだけど。

そう言えば瀧本からは訂正の他にいろいろダメ出しもされました。曰く「もう少し瀧本の事を良く書け」、「もっと瀧本の良いところを沢山書け」、「今のままじゃいつも振られてメソメソしてるだけの男みたいじゃないか、もっとモテモテに書け」等々。

要するに「お前は人間が書けていない」という事のようですが、片腹痛いです(笑)

ひとつだけ言っておきますが、ぼくが書くのは「人間」ではなく「ダメ人間」ですので。お間違えの無いようお願いします。ですが今回は瀧本の意に沿うように、なるべくよく言うように心がけました。友達思いだなあ、ぼくは。

そんなこんなで今回はこの辺でお開き。ちなみに次回は瀧本の二度目の失恋話を書く予定。いつも振られてメソメソしてるだけの男だなあ、しかし(笑)

それでは、またいつか会いましょう。ボクシング見たかったなー。
(乱世編その8につづく)

短歌結社ネガティヴ活動記録(乱世編・その6)

前回までのあらすじ

「短歌結社ネガティヴ」は世界征服をたくらまないし別に秘密でもない普通の人々の集まりである。
彼らは日々ぐだぐだと無為に時間を浪費しながら、
「短歌出来ないねえ」「んだねー」「作んないとねえ」「んだねー」
などと愚にもつかない会話に勤しんでいるのだ。
これは、そういう、短歌を愛してるっぽいけど色々面倒臭いから
「寝ている間に、いかにも俺が詠みそうな新作を小人さんが作っておいてくれたりしないものか。出来れば五十首連作で。あともろもろ面倒なんで応募まで全部代わりにやってくれないかな。授賞したら式には出る」
という、真面目な人が見たら卒倒しそうな考えを抱いて日々を過ごし、そして結局いろんな理屈を付けて賞とかには応募しないっぽい、そういう駄目人間達の活動記録である。
時間を浪費するのが嫌いな人は、読んではならないのだ!

そういう訳で久々の乱世編。今回からは瀧本さんです。
大体、普段から本名で活動してる人のことをわざわざ偽名で書くことも無いのですが、まあ、何となく。
今回からはあまり長くならないよう、一回あたりの分量を減らそうと思ったのにのっけから訳の分からんあらすじを書いてしまいました。反省はしてます・・・が、後悔はしてません(キリッ)

では本編を。あまり長くならない程度に。

高校時代、瀧本修司は同級生の女の子に恋をしていた。
まあ、別に珍しいことでもありません。暗黒の高校時代を過ごしたぼくにだって好きな人ぐらい居ましたし(片思い以下な感じでしたが)。
無論、瀧本とて当然(?)片思いである。
当時、彼は自分の好きな子のことを「あの人」と呼んでいた。

大体日本語の二人称というのは・・・とか言い出すと話が進まないので割愛するけれど、同じクラスの女の子に対して「あの人」というのはいくらなんでも距離があり過ぎる。10光年くらい離れている感じである。
まあ事実、瀧本にとってはそのぐらい離れている感覚だったのかも知れない。傍から見ていても、思いが成就するなどとはまったく考えていないようだった。

「あの人」に彼氏がいたのかどうか、ぼくはクラスが一緒な訳でもないし興味も無かったので知らないが、どちらにせよ瀧本には、潔く告白して男らしく玉砕するなどという芸当は出来ず、日々彼女のことを思ってはメソメソと眠れぬ夜を過ごしていたようだ。
そして夜毎ギターを掻き鳴らしては吉田拓郎の「明日に向かって走れ」を歌っていたようである。因みに最近失恋した時は古井戸の「ポスターカラー」を毎晩弾き語っていたらしい。成長しないなあ。

さて、高校を卒業した後、瀧本はひとり秋田県の大学に進学した。卒業したら「あの人」を忘れられるかと思えばそうでもなく、夏休みなんかに再会すると意味も無く「あの人」の地元までドライブしたり、そして意味も無く海に沈む夕陽をふたりで眺めて帰ってきたりしたものである。・・・ぼくは何も関係ないのですが。

もちろん、それはそれとして大学時代はいろいろとあったようです。奴は照れて話しやがりませんが。羨ましい事とか妬ましい事とかが、まあ、いろいろと。実に腹立たしい。瀧本みたいなモンが。

そんなこんなで、瀧本の癖に大学をきっちり四年で卒業したまでは良いものの、彼は何と就職活動に挫折してしまうのであった。ざまあ・・・じゃないや、さあ大変。お先真っ暗な瀧本修司の明日はどっちだ!?因みに同じ時期同じように就職活動に挫折していたマニ車☆光の運命は(書きません!)。そして何と、ついに短歌を作りはじめてしまうのか・・・?待て、いつ書くか分からない次回を(倒置法!)
(乱世編その7につづく)
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