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短歌結社ネガティヴ活動記録(黎明編・その4)

第四回ですか?よく憶えてない。

前回の内容があまりにも暗すぎて、もう何もかも嫌になってしまったのですが、酒を飲んだら元通りです。
アルコールの力は偉大。

前回を読んでない人と忘れた自分のために簡単におさらいしておくと、高校生の頃、ぼくは心を病んでいた。

以上あらすじ終了。

さて、続き。

ぼくと瀧本、藤井君の通っていた高校は岩手県沿岸北部の普通科高校。
窓から海が見える・・・という事は無いのですが、缶詰工場のせい(だとまことしやかに言われていた。真偽の程は不明)で特に夏場などは死ぬほど生臭い風の吹きつける学校でした。海まで行こうと思ったら、自転車で小一時間かかる山間の学校。

ちなみに、先の東日本大震災の際にはその缶詰工場も被害を蒙ったらしく、浜辺に大量の缶詰が流出し、火事場ならぬ津波場泥棒が大挙して缶詰を拾い集めていったという噂。まあ、放っておけばただのごみになるのなら良いのかなあ、と、あくまで個人的には思う。勿論犯罪だけど。

1975年生まれのぼくらがその町で高校生活を送っていたのは1991~1993年の3年間。
しかしまあ、改めて書いてみると遥かな昔だな。
携帯電話などというものはまだ誰も持っておりません。パソコンも普及する少し前。
そんな頃の、ひとりの孤独な少年のはなし。

いや、本当は短歌結社の活動記録なんだけども!何故こうなった・・・?

さて。高校生の頃、ぼくはひとりの友達も出来ず悶々とした日々を送っていたわけです。
休み時間、廊下で英語講師のスコットさん(金髪女性)から

「ドーシテ、イツモ、ヒトーリ、ナンデスカ?」

と話しかけられ、何も応えられず、早足でひとり校内を歩き回った挙句なぜか理科準備室の前で我に返ったり、とか。教室に戻る気がせず、一時間誰にも見つからないよう隠れ潜んだのも今では良い思い出。その時のぼくの様子を見ていた小島監督がのちに「メタルギア・ソリッド」を作ったと言うのは、有名ではないデマ。

そんな調子でぼくの学生生活は過ぎてゆく。瀧本はどうだったかというと、ヤツは人見知りの皮を被った狼。高校に入ってすぐ友達を作り、友達の友達ともみな友達となり、男ばかりのむさ苦しいコミューンではあるものの、そこそこ楽しい学生生活を送っていたらしい。
当時、ぼくは瀧本とも学校内での接触を避けていたので、詳しい事情は推測ですが。
無頼を気取って煙草を吸いながら時代遅れの吉田拓郎など弾き語ったり、レッドツェッペリンに傾倒して突如ヘビメタマニアになったり、かと思えば文学青年らしいロマンチストっぷりを発揮して天文部なんぞで星を見てうっとりしていたりしたようです。気持ち悪い。

藤井君はそんな瀧本の高校からの親友。正直高校の頃はぼくとはまったく接点がありません。なので呼び名も「藤井君」です。微妙な距離感。
文学青年であるらしいことは当時瀧本から聞いているのだけれど、それだけ。目つきの悪い、それでいて妙に優しげな風貌のひとでありました。

もうひとりの男、吉澤は地元の高校に進学。当時はまだヤンキー文化が色濃く残る田舎の町で、サブカル系ロックオタクの彼は彼なりに大変な高校生活を送った模様。
とはいえ写真部の部長などして、中学からの友人たちとそれなりに楽しくやっているように見えた。何より、一度後輩の女子から告白されたという話を聞いている。そしてそれを断ったと!バチ当たりが!ああ羨ましい妬ましい!
そんな訳で、少なくともぼくよりは高校生活を楽しんでいたはず。本人は異論があるかもしれないけれど。

今回はすごく長くなった。読まなくていいです。ぼくだって読みたくないよ面倒くさい。じゃあ、また、いつか。続く・・・のだろうか?










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