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人称代名詞についてとか

知ってるか?

土星の輪って巨大UFOの編隊で出来てるんだぜ!

・・・嘘じゃないよ。昔矢追純一がTVで言ってたもの。

どうも、山本左足(やまもと・ひだりあし 1975~????)です。

ここ数日ずっとシャワーの出が悪いのに悩まされっぱなしでした。
無理やり捻り出しました。詰まりが解消されて、スッキリとした気分。

あ、現実世界の話じゃないよ。題詠2012のお題の話です。

さて、今回は暇潰しに雑談を少し。

人称の話などを。

このブログの記事を書くとき、ぼくは、基本的に「ぼく」を使う。平仮名のぼく。
まあ、平仮名なのはなんとなくです。
ツイッターでは「俺」。漢字の俺です。漢字なのは文字数を減らすためと、後はまあ、なんとなくです。

もともと、硬い文章を書くときは「ぼく」、くだけた文章のときは「俺」が自然と出てくるのだけれど、たまに混乱して、ツイッターなどでも、たかが140文字の中に両方の人称が出てきてしまうときがある。
このブログを書くときも、かなり意識して「ぼく」を使うようにしている。人格が安定しないのも、なかなかどうして結構大変なのである。

他の人はどうしているのだろう。少し本棚を見てみる。

文学者、評論家の小谷野敦は著書「軟弱者の言い分」のなかで、そのものずばりな文章を書いている。タイトルは「私は『ボク』ではない」。この中で、彼は次のように書いている。

中学生のころ、「フェミニスト」だった私は(「フェミニスト」といっても、「女性解放論者」ではなく、男女平等主義者だった)、男と女で一人称が違うのは良くない、と考えて、その頃から「私」を使っている。
(中略)
だいたい大学生くらいならいざ知らず、なんで三十過ぎた男が「ボク」なのであるか。(以下略)

以上、晶文社刊の単行本21~22ページの内容を抜粋。なるほど、という感じ。

続いてはミュージシャン大槻ケンヂ「猫を背負って町を出ろ!」角川文庫(あ、一人称で書かれてるエッセイっぽいものを本棚から適当に選んでるんで、特に選択の基準などは無いです)。
こちらは漢字の「僕」と片仮名の「オレ」が出てくる。
冒頭の一文、ロックシンガー、カート・コバーンの自殺について書かれた「カート」などは「僕」、自らのロックミュージシャンとしての歩みを「いかにして女とヤるか」を軸に赤裸々に綴った「餓狼伝」シリーズなどは「オレ」である。硬いときとくだけた時とで使い分けている印象。
因みに、「カート」は本当に良いエッセイだと思うので、ロックファンは一読の価値有りです。

最後は歌人の穂村弘「本当はちがうんだ日記」集英社刊の単行本。
このなかの一文「俺についてこい」を読むと、地の文では「私」、会話文の時は「僕」という使い分けになっている。タイトルの「俺」は文中に出てくる友人の一人称。そのほか昔付き合っていた彼女の話も出てきて、その彼女の一人称はやはり「私」。
こう書くとごちゃごちゃしてそうな印象だけどとても読みやすく面白い。さすがほむほむ。

さて。残念ながら(?)、今日チェックした三つの本には平仮名の「ぼく」は出てこなかった。

俺こそが「ぼく」の第一人者であると言わざるを得ない!
(「私」は、なんか気取ってる気がして抵抗があるんですよ)

・・・本当はここから二人称の話とか短歌の話に繋げる予定だったんだよなあ。なんで長々とこんなどうでもいいことを書いている!(今回引用した本がどうでもいいってことではないですよ、念のため)

自分の文章力の無さに絶望したのでもう寝よう。いつか気が向いたらまた何か書きます。

にしても・・・、長いだけで内容の薄い文章になったなあ。何はともあれ長すぎる。反省。(文中敬称略)

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