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恐怖新聞よりぼくは饅頭と熱~いお茶とあの娘が怖い
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033:滝(山本左足)

滝沢朗(セレソン)になれないままで過ぎていく俺達の迂闊な月曜日

短歌結社ネガティヴ活動記録(黎明編・その5)

第5回です。

黎明編は今回で最後になる予定。されど予定は未定。

高校生の頃、ぼくは家を離れて、学校から徒歩五分の下宿に住んでいた。
学生専用の下宿とあってテレビなどは持ち込み禁止。なので、ぼくは高校生の頃に流行っていたテレビ番組などはほとんど見ておらず、今でもたまに同年代の人との会話についていけないときがある。

その代わりに本を読んだ。
三年間で千冊くらいは読んだと思われる(マンガを入れるとその数倍になると思われる)。

友達も無くテレビも無く、とにかく毎日暇だったのである。
心の友は読書とロック、そして毎晩聞いてたラジオ番組(当時だとニッポン放送。なんといっても伊集院光の「Oh!デカナイト」。オールナイトニッポンは松村邦洋とか電気グルーヴとか)くらい。

読書のジャンルはかなり雑多で、SF、ミステリ、歴史小説、青春小説、純文学等々。なんでも読んだのだけど、短歌はその中に入っていない。
その代わり、というわけではないが、現代詩は結構読んでいた。

当時のぼくはとにかく生きているのが苦痛で、毎日学校に行くのが嫌でしょうがなかった。
今思うと、なんであんなに苦しかったのだろう。
別に苛められていたとかではない。
こう言っては何だが、本をたくさん読んだお陰で学業の成績はそこそこ良かったので、同級生からも「ただの変わり者じゃない」と思われてはいたらしく、距離感はあったものの取り立てて苛められたりからかわれたりした事は無いのである。一目置かれる変人でありました。
なので、クラスメイトたちとの間の溝は、どちらかと言えば自分で望んで作ったものだった筈だけれど。
にも関わらず寂しかった。
誰にも分かって欲しく無いなどと思いつつ、それでも分かってくれる人を求めていた。
・・・実にめんどくさい。

そんな面倒くさい心理状態の答えを求めて、ぼくは一時期哲学書を読んでみたり、宗教学の解説書を読んでみたり、現代詩を読んでみたりしていた。

最初はお決まりの谷川俊太郎。その後中原中也や宮澤賢治に進んで、ある日、吉岡実の「僧侶」を読んで衝撃を受ける。高校二年の春である(引用しようかと思ったけど、長い上に、全部通して読まないとあまり意味の無い詩なので止めた。気になる人は各自探して読んでね)。

それ以降、ぼくは自分でも詩をつくったりするようになる。勿論誰にも見せたりしないし、賞に応募したりもしない。完全に自己満足・・・もとい、自己不満足の産物であった。作れば作るほど才能の無さに打ちひしがれ、書けば書くほど書くのが嫌になった。鬱も酷くなるばかり。

生涯最初の自殺未遂未遂(自殺未遂の未遂。なんとな~く死にたくなった、という程度のもの)を未遂のまま終えた高校三年の夏の午後、
「俺はこのままじゃ駄目になる!!」
と、ぼくことまだ駄目になってない気満々の手遅れセブンティーンは、突発的に下宿屋の近くを流れる川のほとりに降り立ち、三冊あった創作ノートをすべて川原で焼き捨てるという、消防署の方々済みません本当に、な行為に及んでしまった。衝動的な行動であった。

なので今現在、高校生の頃の詩や短編小説の類は一切手元に残っていない。もったいないことをしたものである。
あればこのブログで晒せたというのに。

かくしてぼくの高校生活は終わる。

大学入試センター試験では自己採点で国語193点を叩き出し(1問だけ間違えた)、充実した高校生活を送らなかったのと引き換えに見事国立の岩手大学に入学。理系科目と英語がまったく駄目だったわりには頑張ったほうだと思う。

瀧本は秋田県の私大へ進学。吉澤は紆余曲折あるものの青森県の印刷屋へ就職し、藤井君は東京に出て行って紆余曲折していくことになる。

ぼくたちは、まだまだ短歌を作らない(笑) 次回があるとしても、まだまだ短歌結社は結成されないのだ。
何一つ、期待してはならない。