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『おおかみこどもの雨と雪』の感想など

おばんです。

今回はこの間見てきた映画の感想文です。短歌にまったく関係の無い文章を書くのははじめてだなー、そういえば。

えー、まず当たり障りのない話から。
今回は火曜日、夜8時からのレイトショーで見てきたのですが、お客さんが少なかった。全部で十人くらい。話題作なのでもっと大勢見に来るかと思ったのですが。意外。最近は大画面テレビ+ブルーレイが当たり前になってきて(ド貧乏なぼくの家には無いけども)、わざわざ映画館に足を運ぶ人は少ないのでしょうか。

もっとも、こんなことを言っているぼくも今年二回目?くらいです、映画館行ったの。十年前は年30本くらいは映画館で見ていたものですが・・・。今は年5~6回です。今年はもっと減るかも。ダメだなあ。

そんな数少ない貴重な映画鑑賞、今回は細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』です。最初に結論だけ書いておくと、とても良い映画でした。アニメファンのみならず全映画ファン必見の傑作(言い過ぎか?)。おすすめです。

(というわけで以下感想です。内容にガッツリ触れてますので、なるべく映画を見てから読むことをお勧めします)


この映画、タイトルはこどもの名前になってますが、実際の主役はふたりのおおかみこどもを育てる母親の花です。彼女の一代記(というには若干期間が短いですが)という感じ。
ごく普通の大学生だった花が、学校で知り合った男と恋に落ち、やがて同棲→妊娠、と、当たり前の恋愛ドラマの体で話は進みます。ただひとつ普通と違うのは、奥様は魔女・・・ではなく、彼氏が狼男だった、ということ。

おなかを痛めて産んだふたりのこどもにも、父親と同様、おおかみに変身する能力が備わってしまいます(満月の時に限りません)。子育ての為に大学も辞め、これからいろいろと大変だーというその矢先、頼みの綱の彼氏が水難事故で死んでしまう。ああ、どうしよう!
・・・とまあ、ここまでが長いプロローグのようなもの。

こどもを産んでからあまり家に居つかなくなった彼氏は、結局おおかみの姿で川に倒れているのを発見され、害獣処理みたいな感じでごみ収集車に回収されてしまう(改めて書いてみるとなかなかショッキングだなあ)わけですが、この辺りの描写は少し分かり辛かった。
おおかみのオスは家族が出来ると狩りに出て家に戻らなくなったりする、そういう習性があるのだろうか。

彼氏が死んでからの花を取り巻く環境は相当ハード。例えば病気になっても医者に連れて行けない(おおかみ化してしまうため)、予防接種も受けさせてやれない、挙句そのせいでネグレクトを疑われてしまう。度々夜泣き(というか、夜鳴き)しては近所迷惑だと叱られ、遠吠えをしてはペットを飼っていると疑われ・・・と散々。この辺、実にシリアスです。こどもが見るにはキツイかも。

子育てで大変な思いをしたことのあるお父さん、お母さんには共感できるのか、反発するか。ぼくには経験がないので分かりませんが、花はあまり子育ての上手い母親ではないと感じました。それでも、下手で不器用なりにこどものことを思って一所懸命なのが良いなあ、とも。

ひとつ疑問だったのは花の親戚の話がほとんど出てこないところ。父子家庭であることや、父親の葬儀の話は序盤で出てくるのですが。
あそこまでキツイ状況に追い詰められたら仲の良い親戚でも頼りそうなものなのに、そういう話(そうしない理由)が全然出てこないのは不自然な感じがしました。葬儀の時のエピソードから、あまり親戚付き合いが無さそうな感じではありますが・・・。

それから、花の父が生前、花に「どんな時でも笑っていれば何とかなる。いつも笑っていろ」みたいなことを語っていた、と、花が彼氏に話して聞かせるシーン。

これは、個人的にはこの映画を見る上での最重要シーンのひとつだと思うのだけど、あまりにもあっさりと片付けすぎだと思う。もう少し印象に残るように出来なかったか。このセリフが有るか無いかで花というキャラクターがまるで違ったものになってしまう、彼女の生き方を知る上で絶対に欠かせない場面だから、中盤~終盤にかけてもう一回くらい回想シーンとして出してくるくらい念を押しても良かったのでは(しつこいかもしれないけど)。

まあ、韮崎のおじいちゃん(田舎に移り住んだ花をあれこれと世話してくれる人。声は菅原文太)との絡みで「いつもへらへら笑ってる」というのが出てくるから大丈夫かな。ぼくもちゃんと記憶してるし(セリフは適当だけど)。

長くなったので後は足早に。

人目を避けて田舎に移り住んだ後の人物、風景描写はともに見事。自然風景の描き方など、昨今のジブリ以上かも。ただ菅原文太はあまりにもそのまま過ぎて、声優としてはどうも・・・なのだけど、韮崎というキャラクター自体が菅原文太をアニメ化したみたいな外見と性格の人なので何とか大丈夫でした(笑)

後半は雪と雨、それぞれの自我の目覚めと人生の選択ーつまり、子育てから子離れへと進むのだけど、それが上手に行かないのはこどもも親も一緒。

おてんば娘だった姉の雪は学校に通う中で人間として生きる事を選択し、内気な弟雨は森の長老だった狐の死をきっかけにおおかみとして生きる決意をする。

おのれの変化を戸惑いながらも徐々に受け入れて行くふたり。

一方、ふたりの気持ちを尊重したいと思いつつ、子どもの成長を素直に受け入れられない花。この辺の機微の描き方はとても丁寧で良い。たった二時間の映画とは思えない濃密さ。

例えば、中盤、まだ幼くて甘えん坊の雨が、絵本を読むとおおかみはいつも人間に殺される悪役だ、と言って泣き出してしまうシーンなどは、さらりと描いているのだけど、良く考えると既に人間よりもおおかみに感情移入している事が分かる。終盤へ向けての伏線になっているわけである。上手いなあ(良く考えなくても分かるって?ほっとけ)。

それから姉弟げんかのシーンなども、会話からけんかへの移行がとても自然でリアル。お互いが相手を「人間よ!」「いや、おおかみだろ」と罵り合うところなど、相手を貶めることで自分の正当性を主張しようとするところに、アイデンティティを確立出来ていない思春期の危うさが出ていて、良い(どちらも小学生だけど・・・。おおかみは成長が早いのだと解釈しました)。

そして三者三様のラストシーンへ。雪が初恋の男の子に自分がおおかみ女である事を告げるシーンは切なさと甘酸っぱさ(恥)で苦しくなるし、雨が母と別れて森へ走り去るシーンはそれまでの描写が丁寧であったぶん胸に迫る。

しかしやはり最後の、雨を見送る花の笑顔である。

ここで前半のフリ・・・「どんな時でも笑う」が生きる。
ここでの花の笑顔は、単なる祝福などではなく、悲しみも苦しみも辛さも、すべてを含んだものである。ポジティブなものもネガティブなものも、すべてを笑顔に変えて、彼女は笑うのだ。このシーンは、本当に素晴らしい。

花役を演じた宮﨑あおいをはじめ声優陣の演技も素晴らしかった。今年度を代表する日本映画の傑作なのは間違いないと思う。

一銭にもならない(苦笑)レビューをこんな真面目に書いてしまう程度には好きな映画です。
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059:貝(山本左足)

山伏になりたいそしてエベレスト山頂でほら貝を吹きたい

058:涙(山本左足)

明日から二倍涙を流すから君は笑って暮らしていてね

短歌結社ネガティヴ活動記録(乱世編・その9)

前回までのあらすじ。

嘘秋田県にある嘘四年制大学をちゃんと四年で嘘卒業した瀧本だったが、嘘就活に失敗し嘘彼女と別れ、嘘地方紙製作会社を嘘退職した後に嘘親戚の嘘建設会社で嘘労働に勤しむ毎日であったのだが(嘘彼女と嘘就職以外は嘘表記)。

さて、つづき。

建設会社の仕事も不規則かつ不定期で、当時は結構長期間にわたる休業状態になる事も多かったらしい。家で一人やる事も無くぼんやりしていると気が滅入ってくるもので、あの頃の瀧本は温厚な彼とも思えないほど情緒不安定であり、はっきり言って鬱状態だった。

一方その頃周囲の人間達はと言うと、吉澤は職を転々として落ち着きが無く、藤井君は東京でやさぐれ生活で、ぼくはといえば大学を辞めてしまったばかり。
ようするにみんな揃ってロクでもない状況で、人のことを心配している場合じゃないのだけれど、何となく我ら駄目人間コミューンのリーダーになってしまっている瀧本は、自分の心配だけでなく周りの連中の境遇にまで心を痛めてしまったらしい。一時期本当に参ってしまって、鬱病の薬を処方してもらうまでに追い詰められた。

この頃から瀧本は短歌を作り始めているらしい。二首引用する。

会社にて一日地図など眺めおりすることもなし給料もなし

弟の勉強見てやる心やさしき我は無職でただ家に居る


一首目は地方紙製作会社時代、二首目はそこを辞めた直後くらいに作ったものらしい。

にしても、なぜ短歌だったのか。本人に聞いても「なんとなく」というような答えしか返ってこない。心の弱った人を引き付ける力が短歌にあるのは確かだけど、当時の瀧本には「この歌人のこの歌が好きだ!」というようなものもあまり無かったようだし。謎である。

家でぼんやりとしていた失業者の瀧本を見るに見かねてか、一年間の臨時職員として村の診療所で受付の仕事をしないかという話が舞い込んでくる。彼はその仕事を通じて知り合った女性に生涯何度目かの恋に落ち、最終的には携帯電話を着信拒否されるという面白・・・ん、ん、悲しい終わりを迎える事になる。

彼の証言によると、枡野浩一著『かんたん短歌の作り方』(筑摩書房刊)を読んで衝撃を受けたのはその後、臨時職員の期間も終わり恋も終わり、失業保険をもらいながら再び家でぼんやりとしていた頃だそうだ。鬱病が一番酷かったのもその頃だったようである。自分の持て余している鬱屈を吐き出すための最良の手段を、彼はその時ようやく手に入れたのだった。
2001年のことだという。1998年に大学を卒業してから既に3年が経っていた。

ちなみに、迷走に告ぐ迷走の挙句、結局彼は親戚の建設会社に戻り、今もそこで勤めている。最近、また失恋したらしいですよ。・・・幸あれ。
(乱世編その10につづく)

057:紐(山本左足)

靴紐を結び直してもう一度走り出すため睨む青空

056:晩(山本左足)

信念に殉じた人だ晩節がこれでもかってほど汚れても

055:きっと(山本左足)

俺達の夜明けはきっともう近いはずだおそらく多分ぜったい

短歌結社ネガティヴ活動記録(乱世編・その8)

題詠がなかなか進まない昨今。完走できる自信が日々少しずつ失われていっておりますが皆様はいかがお過ごしですか。山本左足です。
雨の日に洗濯しても乾かないからやめた方がいいぞ!(豆知識)

というわけで久々の乱世編。前回までのあらすじを忘れてしまった人は、もうそのまま忘れてしまって良いと思うのです。忘れた方がいいことだってあるよね。時々思い出して鬱になったりするじゃないスか。

思い出し笑いとおなじ要領でたまになるんだ思い出し鬱

・・・いや、そんなことを言いたいわけじゃなかった。

えと、瀧本修司編の第三回ですね。始めましょう。数少ない読者の方はご存知のとおり、非常に長くて読みづらいので覚悟のほどをよろしく。

大学時代の瀧本はろくに学校にも行かず、日々酒に溺れ、連日徹夜マージャンに精を出していた・・・はず。むさ苦しい格好で秋田の町を徘徊しては不審尋問をうけるようなパンクな大学生活を送っていた・・・に違いないのだが、なぜかたったの(?)四年で大学を卒業したのは、今に至るも大きな謎である。
しかも大学時代は彼女も居たっぽい。何かがおかしいけど詳細は不明。いろいろと考えた結果、ぼくの中では、たぶん嘘彼女だろうという結論に達している(嘘がばれそうになると急に海外留学したりする、例のやつ。みんなも作ったよね嘘彼女)。

まあなんにせよ、瀧本は最短で大学を卒業したのだが、就活に挫折し、あえなく就職浪人になってしまった(そして彼女にも振られてしまったらしい。踏んだり蹴ったりである)。

時期的に、ちょうど「ロスト・ジェネレーション」とよばれる就職氷河期の真っ最中、特に一番酷い時期だったせいもあるだろう。

瀧本は人並みに就職することが出来ず、秋田から故郷に帰って悶々とした日々を過ごす事になった。一応高校時代の先輩に誘われて地元のミニコミ紙を作る仕事を始めた・・・と本人は言っているが、ぼくは知っている。日々何もやる事なく、朝から晩までその先輩のところでぼーっとしていただけだという事を。それどころか、給料もろくに払ってもらってなかった事を。

そこの家の父親は地元の名士(気取り)で、当時は市長選に出馬する気満々。瀧本はなぜかその父親の手伝いなんかもさせられていたらしい。ほぼ無給で。
なので、ぼくをはじめ親しい友人達のなかでは、その頃の瀧本は「毎日なぜかスーツを着て、車で30分かけて先輩のところに遊びに行き、そこの父親が選挙に出馬するのをボランティアで手伝っている人」だった。

結局一年に満たずにそこも辞めて、瀧本は再びジプシーになった(というか、ぼくの記憶では瀧本とそのミニコミ紙製作会社とのあいだに雇用の契約自体存在しなかったらしい。本当にただのお手伝いさんで、世間的にはずっと無職だと思う)。
因みにミニコミ会社の社長は市長選で惨敗した。これには温厚なぼくも心から「ざまあみろ」と言わざるを得ない。

その後、今度は親戚のコネで建設作業員の仕事に就く。本来瀧本は非常に文弱であって、肉体労働とは縁のない男だったのだが、そんな貧弱な自分を変えてモテモテになりたかったのか、意外と長続きした。
このまま建設作業員として真っ当な生活を送るのかと思いきや、今度は不景気のあおりで建設の仕事がまったく無くなってしまう。
しかしそこは人望のある瀧本、更に更に今度は地元の診療所で受付の仕事を始めることになる(ただし一年契約の臨時職員という、どこまで行っても不安定な仕事)。
その頃またしても熱烈な片想いをしてものの見事に失恋するのだが、それはまた次回。ちなみにこの頃には短歌を作ったり作らなかったりしているようだが、そのへんの話も次回にします。そんでは、また。
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