スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ダン・シャーリー

Amazonのカートの中まで散らかって君って女は!君って女は!! 小林ちい

『短歌雑誌ネガティヴ -12號』より

おばんです。

…部屋がね、汚いんですよ。

といっても別にごみ屋敷という訳ではなく、本やCDが多すぎて収納スペースが無いというのが大きな原因なんですが。皆どうやってるんだろう。

一人暮らしだと物が動かない。いや、もちろん物が勝手に動くことは無いんですが、同居人が居ると、その人が物を動かすじゃないですか。一人だとそれが無いので、どこかに置いた物はいつまでもそこに置きっぱなしになっている。するとどうなるか。部屋はどんどん散らかっていっても、自分では「どこに何が散らかっているか」を完全に把握出来ているため、片付ける必要をあまり感じなくなっていくのですよ。

そんなこと言ってないで片付けろよ、と言われればその通りなんですが、そもそも本棚もCDラックもすでに一杯&増設できるスペースも無くて、出来ることと言えば部屋の隅っこに積んでおくくらいしかないのです。かといって、なるべくなら捨てたり売ったりもしたくない。本当に、どうすればいいんだろうなあ。

さて今日の短歌。「まで」がいいですね。これによって、「君」の普段の生活っぷりがいかにだらしないかが伝わる。後半のリフレインも効果的で、発言者の、こう言ってはいても本気で怒ってはいない感じが上手く伝わる。どことなく楽しそう。

「もー、しょうがないなあ」と言いながら部屋の掃除をしている彼氏と、暖房の効いた部屋でアイスを食いながらそれを眺めている彼女、というような場面が浮かびます。爆ぜればいいのに。


さて、寝る前にもうちょっと整理整頓を続けることにします。正直このままでも何の支障も無いんですが、時間の止まった部屋の中に引きこもっていても何も前進しない気がする。「進化の反対は無変化」と才賀勝(藤田和日郎『からくりサーカス』(小学館)の主人公)も言っていたし。とりあえず変化せんとね。

では、また。おやすみなさい。
スポンサーサイト

グローランプ

ケイコウトウガキレカケテイルイエジュウノケイコウトウガキレカケテイル! 藤原龍一郎

おばんです。

ようやく職場に復帰したものの、まだ勘が戻らず邪魔者扱いの日々です。手術の痕がチクチク痛むのはストレスのせいか。もっとちゃんとしなきゃ…と思いつつ、仕事を終えてボロアパートへ帰る。午後11時。キッチンに電気を点けて夕飯の支度をしようとしたら、何故か電気が点かない。リビングの電気は点くので停電ではない。不審に思いつつ、寝室の蛍光灯を外してキッチンへと持って行き、取り替えてみたがやっぱり点かない。試しにキッチンの蛍光灯を寝室に付けてみたらちゃんと電気が点く。何だこれ。故障?

…ということで今回のタイトル。要するに蛍光灯ではなく、グローランプが切れていたというだけの話でした。寝室のグローランプをキッチンと取り替えて一件落着(寝室は文字通り寝るためだけの部屋と化しているので問題なし)。ドタバタした。

夜遅くまで仕事をしていると、部屋に電気が点かないのが何より不便です。なかでもキッチンは大変。リビングのほうが、明かりを発するもの(パソコンとか)が色々ある分まだマシなんじゃないかと思うほど。

まあ一番大変、というか悲惨だったのはトイレの電球が切れていた時ですが。うちはほら、和式なので。夜中、真っ暗ななかで用を足すのはなかなか…、悲惨でしたね。あれは惨い事件だった。

そんなこんなで、今日の短歌は藤原龍一郎の有名な一首。片仮名表記が異様な迫力を生み出しています。この表記によって、非常事態感が際立っている。

個人的に、この短歌を読むと、藤子F不二雄のマンガによくある展開ーマスコットキャラ的なロボット(コロ助とか、ゴンスケとか)が、何らかの理由で電子頭脳に不具合を起こしてしまい、その結果暴走して事件を起こしてしまう、というーそういう場面を想起します。目をギラギラさせて、意味不明なことを喚きながら走り回る。周囲からすればくだらない事でも、本人(本ロボ)からすれば大真面目で、それが、面白さと同時に怖さも感じさせる、そういう感じ。

家中の蛍光灯が一斉に切れかける、というのは確かに非常事態ではありますが、にしてもこんなにパニックになるか、という程のうろたえかた。それが面白くて、少し怖い。狂気を感じます。

藤原龍一郎さんは固有名詞を用いた短歌をたくさん作っていて、以前このブログにも書いた

ああ夕陽 明日あしたのジョーの明日あしたさえすでにはるけき昨日きのうとならば

が有名です。他に好きなのでは

何告げる真夜の稲妻ポスターのエレファント・マンもわれもかなしき

林真理子のヌードのように容赦なく秋の没陽いりひがわれを責めるよ

古今亭志ん朝の死を新聞は告げ秋冷の便器の白さ


などなど。

固有名詞を使うのは先行作品との差別化を図る上で有効な一方、その名詞の持つイメージに影響されてしまって自分の言いたいことが上手く伝わらなかったりするものです。また、時代の空気を表現するのには適していても、使われている固有名詞が死語になっていくと必然的に作品自体も通じないものになっていく、という危険も孕んでいます。

藤原作品にとってもそれは例外ではなく、例えば「林真理子のヌード」が今どれだけの人に通じるのかは甚だ疑問ですが、後半の「容赦なく~責める」という描写によって、知らなくても類推できるような書き方になっているところ、また、固有名詞が心情の描写と上手く響き合っているところなど、さすが、第一人者は役者が違う、という感じです。秋の没陽をヌードに例える感性。俺も欲しい。

といったところで今日はここまで。最後に、SMAPの解散報道が騒ぎになっていた頃、ジャニーズ繋がりということでよく思い出していた短歌を一首。

フッくん、ヤッくん、モッくんなどと名づけたる金魚三匹すでに死にたり 藤原龍一郎

あ、今日の短歌の引用元ですが、掲出歌は『東京哀傷歌』、2、3、4、6首目が『夢みる頃を過ぎても』、5首目は『日々の泡、泡の日々』です。引用はもっと慎重に、間違いなく分かりやすくしないとなあ、と思う今日この頃。炎上したくないし。

では、また。おやすみなさい。

男らしさ

唯一の男らしさが浴室の排水口を詰まらせている 虫武一俊

おばんです。いい風呂、夢気分。ただ今深夜3時です。

0時に帰ってきてからご飯を作って風呂に入って、とかやってるとすぐこんな時間になる。この不規則な生活が体調を崩す一番大きな要因だと思う。じゃあブログなんか書いてないで早く寝ろって話ですが。だらだらと文章を書くのが好きなんで、つい。

そんなわけで、今日は風呂の歌。

以前「(自称)短歌結社ネガティヴ」のメンバーと珍しく短歌の話になった時、「あの短歌いいよねえ」「風呂に入ってるときいつも思い出すよ」などと、人知れず絶賛されていた一首です。うたらばブログパーツ短歌「男」採用歌。

缶チューハイを飲みながら俵万智の短歌を思い出したり、変な夢を見たあとに大滝和子の短歌を思い出したりするように、生活のなかのふとした拍子に繰り返し思い出す歌、というのがあります。トイレに行くときに思い出す歌とか、玄関で靴を履くときに思い出す歌とか。

特別な名歌・秀歌ではなくても、気づけば繰り返し思い出している。そういう短歌もいい。覚えやすいのも短歌の良さだと思います。詩とかはね、長いからね…(若い頃とても好きだった詩を、記憶の劣化で暗唱できなくなった事に最近気づいて、ちょっと落ち込んでいる)

男らしさとは何か。

…などと言い出すと、やれフェミニズムだジェンダー論だとややこしくなるのでここでは置いといて、主人公にとっては毛深いこと、それが唯一の男らしさだという。自分に自信が持てないのだろう。多分異性にもモテないに違いない(断言)。

では、その唯一の男らしさで、自分には一体何が出来るのか?それが「排水溝を詰まらせ」ることだという…。切ない。まあ、他に出来ること無いしね。男塾にでも入塾すれば、体毛を使った暗殺拳とか身に付けられるかもしれないけど。

とかいう冗談はともかく、「俺なんて、毛深いところ以外ちっとも男らしくない」という気持ちを、単なる自虐ではなく笑いの要素も加えてしっかりとした短歌に纏め上げているところが素晴らしいと思います。笑いと切なさの両立。俺もそういうのが作りたいんですが、なかなか上手くいかないんですよ。あと、俺の場合は毛深いわけでもないのに頭髪が抜けて排水溝を詰まらせます。どうすればいいですか。このままじゃ、男塾に入っても暗殺拳ひとつ身につけられない身体に…。

まあ、男塾に適応できるなら暗殺拳云々関係無しに男らしいか。自信も持てるようになるだろう。女にはモテないままだろうけど。おすすめ(俺は絶対入りませんが)

あ!そしたら虫武さんが6月に新鋭短歌シリーズの一冊として出す予定の歌集の出版元も書肆侃侃房から民明書房に変更に…!?(なりません)

と、あくまでもさりげなく宣伝を入れたところで今日はここまで。何で俺がこんなとこで宣伝してるのかまったく分かりませんが(笑) 期待してます。

じゃあまあ、そういうわけで、またそのうちに。おやすみなさい。

男らしいはやさしいことだと言ってくれ (吉田拓郎「我が良き友よ」より)

輝く未来

「あたしには輝く未来しかない」と何度もとなえ電車を降りる 檀可南子

朝6時起床。いつもならまだ寝ている時間だ。寒い。

今日は健康診断に行かなければいけない。以前は年に一回だったのだが、夜間従業者は生活が不規則だからか年二回受ける決まりなのだそうだ。煩わしいなあ。

外はどんより曇っていて、いよいよ気分が滅入ってくる。気分転換に音楽でも聴こう。何か、気持ちの高まるようなものを。ウォークマンのリストをチェックする。そういえば、ザ・クロマニヨンズの『JUNGLE 9』をまだちゃんと聴いてなかった。これでいいか。

幸いバスは直ぐに来たが、まだ午前7時になったばかりだというのに既に乗客が満員である。こんな朝っぱらから、皆働いているのか。いつもなら俺はまだダラダラ眠っている時間だ。そんなことを考えながらバスに揺られてゆく。甲本ヒロトは大声で歌っているけれど、俺の気持ちは一向に盛り上がってこない。

官公庁のところで、大勢の人たちがバスを降りていった。おいおい、まだ7時20分だぞ。こんな時間から、一体何をやるんだよ。真面目か!

…真面目なんだろうな。ごめん。間違っているのは俺のほうだ。

バスセンターで降りて、また別のバスに乗る。ここでも乗り継ぎが上手くいって、数分の待ち時間で乗ることができた。これなら予定より早く着く。さっさと行って、さっさと終わらせよう。

こんな朝早くに、こんなに時間をかけて、どうでもいい健康診断なんかになぜ行かなければいけないのか。

年に二回の健康診断をかかさず受けて、何も異常が見つからなかったのに、去年は入院・手術をする羽目になった。結果が変わらないのなら、こんな事、何の意味もないじゃないか。面倒なだけだ。

ナントカ健康センターとかなんとか、何度も来ているのに名前も覚えていない施設に着いた。クロマニヨンズはまだ馬鹿みたいなロックンロールを歌っている。アルバムは別のに変わったみたいだけど。この曲何だっけ。最近は音楽も一度聴いたらそれっきり、って感じだなあ。甲本ヒロトはずっとかっこよかった。これからもずっとかっこいいんだろう。

スタッフの手際も良く、検診はスムーズに進んだ。当然なことだが、ここのスタッフは皆俺よりずっと早く起きて仕事をしているのだな。そう思うと、不平不満ばかり言っている自分が酷く醜い生き物になったような気分になる。どんどんどんどん心が暗くなる。

健康診断は滞りなく終了。ありがとうございました。血圧が高かったのは睡眠不足のせいか、ここに来るまでずっと大音量で流れていたクロマニヨンズのせいだろうか。…いや、単に寒い中を歩いてきたからかもしれないな。

早起きのご褒美(?)に受付でおにぎりを一個貰って、ナントカセンターの外に出たらすっかり晴れていた。駐車場一面に昨夜降った雪がまだそのまま積もっていて、キラキラと輝いている。時間は午前9時前。まだコンビニくらいしか開いてないよなあ。

どこへ行こう。どこへ。

どこへも行く場所なんて無いな。行きたいところも無い。何で俺はこんなところに居るんだろう。真っ白に輝く世界の中で、俺だけが黒いシミのようだ。何で晴れたんだろう。何でこんなところに居るんだろう。入院して、手術もして、費用を払いきれずに親に借金して。長いこと仕事を休んで迷惑をかけた。上司は監督責任ということで本社から叱責されたらしい。ああもう何もかもうざったいな。俺は何のために生きてるんだろう。何で死ななかったんだろう。何でこんなところに居るんだろう。寒いな。どこへ行けばいい。俺は一体どうすればいいんだろう。

…とりあえず、こんなところに突っ立ってないほうがいいよ。馬鹿みたいに。

よし。とりあえず最寄り駅まで戻って、そこから、今度は電車で盛岡駅へ行こう。あの辺なら、モーニングサービスをやってるカフェぐらいあるだろう。熱いコーヒーが飲みたい。その後は本屋とCD屋でも冷やかして…、なんだ、結局いつも通りだな。まあ、別にいいか。

ラッシュの時間を過ぎたので、駅に向かう電車は空いていた。学生服の男子がひとり、通路に立ったままぼんやりと車窓を眺めている。時折あくびをしたりして。まだ冬休みか?それとも遅刻?なぜこの時間に一人で?大体、駅の近くに学校なんてあったっけ?

…なんだかよく分からないが、その姿を見ているうちに、さっきまでぐるぐる悩んでいたこととか、もうどうでもいいような気になってきた。

よし。何か音楽を聴こう。今度は落ち着くようなのがいいな。

イヤホンを耳に装着すると、すぐさまヒロトの歌声が聞こえた。あれ?スイッチを入れっぱなしだったのか。そういやこないだクロマニヨンズのアルバムを全部ウォークマンに入れたんだった。お、この曲はさすがに知ってる。『エイトビート』だ。

ただ生きる 生きてやる
呼吸をとめてなるものか


ああ、まあ、そうだよなあ。何のために生きてるのかなんて、生きてみなきゃ分かんねぇしなあ。やっぱり、ヒロトはかっこいいな。

などと思っているうちに電車は盛岡駅に着いた。あっという間だ。学生服の男はダルそうに電車を降りて、すぐに見えなくなった。

ありがとう、学生。何が何だか自分でも分からないが、俺はお前に救われたような気がするよ。

駅の構内には大勢の人が忙しく行き交っている。俺はとてもあんな風には生きられないな。そのせいで多くのものを失った。その代わりに、手に入れたものもあるはずだけど。

まあ、いいや。コーヒーを飲みに行こう。ただ生きる。今がどん底なら、どこへ行こうが輝く未来しかないさ。


・・・、あ、おばんです。ご挨拶が遅れまして。

今日の短歌は檀可南子さんの一首。この短歌もTwitterで見たのが最初だったので、初出がどこかは分かりませんでした。

そんなこんなで今日は健康診断を受けてきたので、その様子をちょっと、大学生の頃に書いていた日記風に、と思ったのですが途中から訳分かんない感じになっちゃった。まあたまにはこういうのもいいじゃん?

明日はまた久々に仕事。というか明日からは一応本格的に復帰という扱いらしいです。当面はかなり短時間の労働になりそうだけど。

ということで今日はここまで。明日からは不定期更新になると思うけど泣かないでね。おやすみなさい。

歌壇賞受賞作を読んだ感想とか妄想とか

おばんです。

今日は第二十七回歌壇賞受賞作、飯田彩乃さんの『微笑みに似る』について感想を書いてみたいと思います。

ぱつぱつと大きな音をたてながらキィボードへと降る指の雨

連作の一首目。「指の雨」という表現が秀逸。初句、唐突に出てくる「ぱつぱつ」が、結句で雨の音へと変わる。その構成が見事。

そこだけが雪原の夢 プロジェクタの前にあかるく埃は舞って

同じく二首目。プロジェクタの光で浮き上がって見える埃を雪に喩えている。無味乾燥なオフィスのなかでそこだけが美しい。

一首目の「雨」、二首目の「雪」のように、連作全体を通じて「水」が出てくる歌が多い。「浅瀬」や「対岸」なども含めると、大半の歌に何らかのかたちで水を想わせる言葉が使われていて、それが連作にゆるい繋がりを持たせているように思う。

残業はみぞれのやうに降り続きわたくしが飲む水へと変はる

これも職場詠。雪国に住んでいると実感するのだが、みぞれは本当に嫌なものだ。冷たくて、べちゃべちゃしていて、傘に張り付く。だが、その嫌なみぞれが、やがては大切な飲み水へと変わる。単に「残業は嫌だ」というのではない、冷静で的確な把握。

輝きをすこし遅れて連れてくる川の蛇行は微笑みに似る

表題作。これはなかなか難解な表現だと思う。川の流れに沿って、上流から下流へと「輝き」が流れていくような、そんな時間差の感覚。…、いや、単に流れているのじゃなく、蛇行しているのだから、水面から水面へ、水切りの石のように輝きが跳ねていくような、そんな感じだろうか。微笑みという「輝き」が私という「川」へと届くまでの、彼我のわずかな時間差。それを川の蛇行に喩えているのだろう。…かな。自信なし。

川縁を歩くあなたがそこここに咲く花の名でわたしを呼んだ

舳先より遠くへ腕を伸ばしつつ風とは花を手放す力

真夜中に目を見ひらけば対岸のあなたから打ち寄せる寝息よ


一首ごとの完成度ももちろん高いのだが、連作として、ひとつのストーリーを妄想するとなかなか面白い。「花の名でわたしを呼んだ」と歌いながら、その後に「花を手放す」という言葉が出てくる。そして、寝息の届く距離で寝ているあなたのことを「対岸」に居る、と感じるようになる主人公。これ以上の引用は控えるが、二十八首目には「思ひ出のなかにゐるあなた」とある。読み方によっては別に失恋の歌ととらえなくても良いのだが。まあ、妄想です。

三十首全体に作者の工夫が行き届いている。「水」をモチーフにして連作に繋がりを持たせている、と書いたが、力の無い作者がそれをやると似たような雰囲気の短歌ばかりになるだろう。この連作の中での水は、様々に姿を変えながら、まさに蛇行する川のように流れていく。確かな表現力に支えられた、素晴らしい連作だと思う。

…と、まあそんな感じです。俺は連作が下手くそなんで、色々勉強になりました。

受賞作以外についても気に入った歌への感想をそのうち書くかもしれない。書かないかもしれない。たぶん書かないと思う。書かないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ(この言い回しがさだまさしの『関白宣言』だと分かった君、僕と握手!)

そんなこんなで今日はここまで。明日は会社の健康診断なんで早寝早起きしなきゃ。おやすみなさい。

初雪

かの年のかの新聞の
初雪の記事を書きしは
我なりしかな        石川啄木


おばんです。今日は啄木なんで三行書き。

奄美大島に115年ぶりに雪が降ったというので驚いていたら、続いて沖縄本島にも雪が降ったという話。本島で雪が観測されたのは史上初だそうで、まさしく「初雪」ですね。

寒波の影響で各地大変のようですが、反面盛岡は穏やかな毎日です。今日は入院していて受け取れなかったマイナンバーの通知カードを市役所で取ってきました。こんなもの、別に欲しくはないんだけど。

掲出歌は歌集『一握の砂』より。俺の持っている本では総ルビになっているのですが、調べたところ本によってルビが振ってあったりなかったりまちまちのようなので、今回はルビ無しにしました。読めないような歌じゃないし。

それはそうと、今回の「初雪」で、生まれて初めて雪を見た、という人も結構居たんでしょうか。
20歳や30歳になってから初めて雪を見る、というのは一体どういう経験なんだろう。
ちょっと想像がつかない。

そういえば、中学生の頃からずっと憧れていた甲本ヒロトと真島昌利を30歳を超えてから初めて見たときは、喜びとも感動とも少し違う、なんとも言いようのない感情におそわれたものですが、そんな感じでしょうか。違うか。

短歌の話に戻ると、昔読んだときはとりたてて特徴の無い歌だと思った、というか、読んだことすら覚えていないような歌だったのですが、今回のニュースを聞いて真っ先に思い浮かんだのが何故かこの短歌でした。記憶の底にひっかかっていたようです。

「かの年」「かの新聞」「初雪の記事を書きしは」と、カ行の音でリズムを作っていて、読んでいて気持ちが良い。おそらくそれで覚えていたのでしょう。

で、「かの年のかの新聞」って何だよ、と思ってググってみたらドンピシャの記事を見つけました。

こちらのサイトです。→ 石川啄木 漂泊の詩人

明治40年の小樽日報なんですね。こういうのをきちんと調べてる人は尊敬に価する。俺は適当だからなあ。

啄木は雪国のひとらしく、雪の短歌を結構詠んでいます。中で俺の好きなのは次の二首。

忘れ来し煙草を思ふ
ゆけどゆけど
山なほ遠き雪の野の汽車

さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき

春の雪
銀座の裏の三階さんがい煉瓦造れんぐわづくり
やはらかに降る


・・・三首じゃねえか。
あ、「三階」と「煉瓦造」には俺の判断でルビを振りました。余計なお世話。

時代は隔たっていても同郷の感覚なのか、こういう短歌には共感します。案外やるな啄木。

奄美や沖縄の人がこういう短歌を読んだ時にどう感じるのか、ちょっと興味があります。やっぱり温度差があるんだろうか。沖縄に行ったことのない俺が、海の青さや珊瑚の美しさを完全には理解できないように。

寒波はまもなく収まってまた暖かくなるような話を古館伊知郎が言ってましたが、まだしばらくは寒い日が続きますので気をつけて。では、また。おやすみなさい。

めざめれば

めざめれば又もや大滝和子にてハーブの鉢に水ふかくやる 大滝和子

おばんです。

今日は深夜の更新。仕事に復帰すれば毎日こんな感じになるかと思うと、ちょっと面倒くさい。こんな時間に書いて、一体誰が読むのか。わざわざ毎日見に来る人もそんなに居ないだろうしなあ。え、見てる?それはそれは、どうもありがとうございます。

・・・、なんかむなしくなってくるな。

まあ、ぼちぼちやります。さて。

最近変な夢ばかり見る。
こないだは高校生になった夢を見た。学校に行ったら校内がなぜか巨大な都市のようになっていて、教室がどこにあるのか分からずにさまよう夢。
一緒に居た友人や兄弟は皆居なくなって、俺ひとり、結局どこにもたどり着けないまま目が覚めた。起きてからしばらくの間、なんとも言えない悲しい気分だった。

高校生になった夢は比較的よく見る。中学生や大学生の頃の夢はあまり見ない。何故だろう。

俺は高校生に戻りたいのだろうか。よくわからない。ただ、戻りたかろうがたくなかろうが、絶対に戻れない、という現実だけがある。悲しい気分だ。

変身願望は万人が持っているものだが、実際に変身出来る人間はごく少数で、何の努力もせずに変われる人となるとおそらく皆無だ(宝くじでも当てれば別かもしれないが)。現実世界には異世界への入り口も無ければ魔法も無い。世界征服をたくらむ悪の秘密結社も存在しないし、大富豪の隠し子だったりもしない。

どんな夢でもいつかは覚める。覚めた後は、またいつも通りの現実を生きるだけだ。

そんな訳で掲出歌。水をやっている植物が、単なる観賞用の植物ではなく、料理や飲み物に使えるハーブであるところが良い。夢から覚めて現実へ。その感じがよく出ている。めざめれば、またいつもどおりの自分、いつもどおりの現実。それを喜ぶでも悲しむでもなく、ただ、ほんのわずかにがっかりする。そんな感じ。

変な夢を見た朝は、いつもこの短歌を思い出す。歌集『銀河を産んだように』より。

ところでフロイトによれば、夢と言うのは性的欲求不満の表れだそうだ。
もしそうなら、変な風に歪ませないで直接エロい夢を見せてくれればいいのに、と思う。脳は不思議だ。

そんなわけでそろそろ寝ます。別にエロくなくてもいいけど、どうせ見るならもっと楽しい夢が見たい。

皆さんも楽しい夢と楽しい現実を見られますように。では、おやすみなさい。

温短歌拾遺

おばんです。

昨日もブログに書きましたが、「温」がテーマの短歌集『ぬくたん』に参加しました。

ぬくたんは六首だったのですが、様々な理由で載せられなかった短歌が結構あったので、今日はそれをここに載せてご機嫌を伺おうと思います。

どのように生きても辛いコーヒーは必ず冷えてゆくものだから

冷たさを二人確かめ合うように繋がれていく細い指先

「世知辛い世の中ですね。温もりも消費税分値上げだそうで」

体温を分け合い/奪い合いながら死んでひとつの化石に変わる

あたたかい国にはきっとあたたかい国特有の憂鬱がある

下腹部で劣等感を温めるいつか何かが産まれる日まで

夕焼けよ知っているのか心にも放射冷却現象はある


うーむ。「温」がテーマのはずなのに冷たい歌ばかり。

そういえば、「優しいの反対語は冷たいだよなー」ということを、昨日、おんたんの感想を書きながらぼんやりと考えていた。優しいというのは、温かいということなのか。

もっと温かい短歌を詠めるようになりたいもんです。では、また。おやすみなさい。

『ぬくたん』の感想

おばんです。

今日は千原こはぎさん企画による「温」をテーマにした合同短歌集『ぬくたん』を読んだので、その感想を少し書きます。『ぬくたん』の入手方法などはこちら→ こはぎうた

66名による6首連作、総数396首!の大ボリュームなので、見逃している秀歌がたくさんあるとは思いますが、とりあえず第一印象で、気に入った歌、気になった歌をいくつか引いて簡単に感想を書いてみます。

しかしあるいは自販機の冷たい珈琲アイス・コーヒーが6℃の熱を持っていること 牛隆佑

「十一月二日/長い夢」より。この連作は六首でひとつの作品、という構成で、中から一首抜き出すのでは上手く伝わらないところもあるのですが。
温度の感じ方というのは、人の体温が基準となる。冷たい、と感じられるアイスコーヒーだって、凍ってはいないのだから少なくとも0℃以上はある(コーヒーの融点が水と同じかは分かりませんが)。自販機の場合おそらく6℃というのが標準の設定なのでしょう。確かに冷たい。しかし0℃ではない。ゼロではないんだ、という思い。「熱を持っている」という表現がいいです。発見がある。

ストリートビューで観光案内してくれたからパソコンがあたたかい 小川窓子

現実というフィルターで地図はあたたかくなるこの四角に居るんだね


「隅田の桜」から二首。この人の短歌は不思議なリズムで、短歌として読もうとすると句ごとの切れ目がよく分からない。かといってリズム感が無いわけでもなく、独特な感じ。
普通、定型に当てはまらない短歌は「読みづらい」と感じてしまうことが多いのでマイナス要素になりがちなんですが、この人の場合はこの文体が傷ではなく特徴としてプラス要素になっているように思います。
内容としてはどちらの短歌もテーマの扱い方が巧み。「ストリートビュー」「観光案内」「パソコン」「フィルター」「地図」など、温度を感じさせない単語を散りばめながら、読んでいるこちらまで温かくなってくるような短歌になっていると思います。

おもぶるに平等院を差し出してすき屋の朝にひかる温玉 東風めかり

「すきの屋で朝食を」より。「平等院を差し出して」がいい。ドキッとしました。そこからすき屋への落差も面白い。平等院→すき屋→温玉、とくるくるとイメージが変わっていくのが楽しいです。
「おもぶるに」は寡聞にして知らない言葉だったので検索してみました。「おもむろに」と同じ意味なんですね。「不意にゆっくりと」というような意味、と書いてありました。うーむ、分かるような分からんような…。

主よ人の望みよ喜びよ愛はスープを温めることでしょう 嶋田さくらこ

「冬をはじめる」より。…バッハでしたっけ(自信なし)。スープを温めるという、ただそれだけの行為が、まるで荘厳な儀式のように感じられてきます。短歌は「私性の文学」と言われるだけあって、個人的な哀感を歌うのにもっとも適した詩形。かっこつけたり大げさな表現を用いたりすると大抵スベるんですが、この歌の場合は上の句の畳みかけがちゃんと効いています。定型を外しているのもポイントで、これを定型に合わせた場合、慣用表現のように感じられてとたんに魅力を失ってしまうのではないかと思います。

真夜中のベンチ大きなストールを巻いて僕らは孵らぬさなぎ 千原こはぎ

「さなぎ」より。恋の永続を願う心情、その純粋さと危うさ。羽化したくないと願っても、いつかは夜明けがきて、ストールも解かれてゆく。孵らないさなぎというのは死んださなぎしか無い。そういう、純粋さのなかに暗い陰を感じさせる表現に惹かれました。

熱があるのにぬくもりがほしいとかバカだ何度も寝返りをうつ 西村曜

「体温計のない部屋」より。この歌に関しては、もう単純に共感してしまった。一人暮らしで風邪をひくと本当に心細いんですよ。表現にも諧謔味があってとても良いと思います。俺もいまだに体温計持ってないや。

ありがとう はらわたの煮える温度で雪の道でも体が動く 古井久茂

「腸が煮える」は怒りの感情を表す慣用句ですが、それをあたかも物理的な熱ででもあるかのように表現したのが面白い。更にそれを「ありがとう」と、怒りの対象への感謝としたところも皮肉が効いていていいと思います。

…本当はあと十首くらい印を付けていたんですが、今日は疲れてしまったのでまた機会があれば。

では、また。おやすみなさい。

自殺はずるい

だからもう僕らはずっと友達になれないままだ 自殺はずるい

おばんです。

正月に実家から貰ってきたドトールコーヒーのギフトセットがとうとう無くなってしまい悲嘆に暮れています。まあメーカーで淹れればいいだけの話なんですが、手軽に本格的な味が楽しめるのは良かったなあ。また飲みたい。

今日の短歌は自作です。昨日「うたの日」というサイトの歌会に出したもの。うたの日は毎日歌会をやっているサイトです。興味のある方はこちらから→ うたの日

別にネタが尽きたわけではないんですが、昨日酔っ払ってツイッターに「明日はこの短歌についてブログに書くぞ」みたいなことを呟いてしまったんで、今日はこの短歌についてちょっと書きます。たぶん、馬鹿みたいに長くなると思います。

さて。

数年前、このブログに「短歌雑誌ネガティヴ活動記録」という記事を何回か書きました。ちょうど新刊の出る時期だったので、それまでの歩みを簡単に書いておこう…というぐらいの気持ちで書き始めたのですが、スタート地点を少年時代に設定してしまったため(今思うと、何でそんな事をしたんだろう?)、書いても書いても終わらず、そのうちに飽きちゃってそれっきりです。というか結局『短歌雑誌ネガティヴ』が出来るところまでも進みませんでした。何だそりゃ。

第一回目のタイトルに「黎明編」と付けたところ、『ネガティヴ』元主宰(現・首領)のロンドン太郎さんから「手塚治虫の『火の鳥』みたいに、いずれは鳳凰編とか宇宙編とかあるの?」と聞かれたので「宇宙編は無いな。精々未来編とかギリシャ・ローマ編くらいじゃない?」と、そのように答えたのを覚えてます。まあ冗談なんですが、折角の思いつきだから、というので黎明編の次を乱世編にし、その後、もし飽きなければ望郷編、生命編、未来編と続く予定でした。ギリシャ・ローマ編は残念ながら未定でしたが。

望郷編と生命編で主役を張るはずだったのが、『ネガティヴ』同人のひとりだったF君です。活動記録の中では何でしたっけ、藤井?かな。その彼です。

俺とロンドン太郎、そしてF君は高校の同窓生ですが、俺は高校生の頃はとにかく暗くて、友達もひとりも出来ず…、と、まあその辺の事情は今まで散々ツイッターなんかにも書いているんで省きますが、とにかく最悪の三年間でした。

いつどこで誰が死んでもいいように学生服は男女とも黒

などという短歌をいまだに作ってしまうほど、高校時代というのは俺にとってトラウマで、当時を知っている同級生なんかとは、なるべく顔を合わせたくない。まあ向こうも俺のことは覚えてないようで、同窓会の報せなんか一度もありませんが(笑)

そんなわけで、俺は高校生の頃にはF君とまったく接点がありませんでした。

卒業してから、共通の友人であるロンドン太郎(たびたびこの名前が出てくるのウザいな。もう瀧音でいい?…いやまあ、とりあえずTってことにしとくか)、TからたまにF君の話を聞きました。東京に進学(就職?それすら定かでない)したこと、しかし全然学校に行ってないらしいこと、付き合ってた彼女に騙されて(?)借金を作ってしまったこと、結局東京を引き払って実家に帰ってきたこと、精神のバランスを崩して病院に通っていること、真夜中に酔っ払って電話してくること、しかもそのことを覚えてないらしいこと、自分も精神的にキツい時、たまにこっそりお薬を分けてもらってること(ダメ、絶対)等々。

おそらくF君にも、T経由で俺の話が様々に歪曲されて伝わってたことだろうと思います。実際に顔を合わせたことは高校卒業後数回しかありませんが、何となく(ダメ人間仲間)としてのシンパシーはお互いに感じている、そういう状態。

Tが突如として短歌にはまって、『短歌雑誌ネガティヴ』というアレな名前の同人誌を作ったとき、その頃まだ短歌など詠んだことも読んだこともなかった俺やF君も勝手にメンバーに入れられ、無理やり短歌を作らされました。それから数年間、彼とは同じ雑誌を作る仲間として活動しましたが、住んでいる場所が遠かったこともあり、直接顔を合わせることはほとんどありませんでした。

というか、俺が会いたくなかった。「高校生の頃の自分」を俺は憎悪していて、自己嫌悪と被害妄想が過度に膨れ上がってしまっているので、あの当時の知り合いとはなるべく会いたくない、俺のことは放っておいて欲しい、というのが本音でした。

Tからは「Fはお前に会いたがってるよ。絶対に気が合うはずだし、ちゃんと会って話をすればきっと仲良くなれると思うんだけど…」と何度も誘われましたが、そのたびに適当な言い訳をして、俺は彼と会うのを避けていました。

あの電話があったのはいつだったか。

実際の時期は全然覚えてないんだけど、何となく、寒い日だったような気がします。

うちに遊びに来ていたTの携帯電話にF君から連絡があり、しばらく話していたのですが、そのうちにTが「お前に代われって」と、電話をこっちに投げて寄越しました。

(何の用だよ、嫌だなあ)と思いながら電話に出ると、F君は案の定酔っ払っているようでした。

「もしもし、N君(本名)。俺、Fだけど」「うん」「あの、ちょっと話がしたくて」「うん」「あのさ、そのー、俺ら同級生だしさ。だからさ、…俺、次会った時はお前のこと、Nって呼び捨てにするからさ。だから、お前も、俺のこと呼び捨てにしてほしいんだよ。俺、Nの短歌好きでさ。『あの丘に風をさえぎるビルが経つ今夜も銀河鉄道(スリーナイン)は来ない』とかさあ。 だからさ。俺、もっとNと仲良くなりたいからさ」

それに対して俺は、あーうんそうだね、わかったわかった(棒)という感じで、適当に切り上げてそれっきりでした。酔っ払ってたし、どうせ覚えてないだろ。

結局、それが最後の会話になりました。「次」は永久に訪れないまま、彼はその年自殺してしまいました。

あの時。俺がもう少し真面目に話を聞いていれば。もう少し、こちらからも何か話していれば。「友達になろうぜ、F!」と言っていれば(いや、誰に対してもそんなこと言えないけれど)。

俺がもう少し何かを出来ていれば、彼は死ななかっただろうか。

答えなんて永久に出ない。それでも考えずにはいられない。

解けない問題だけを残して、出題者は消えてしまった。大量の宿題を出しておきながら、答え合わせのできない場所に行ってしまった。

そんなのは、ずるい。自殺はずるい行為だ。だから、俺は絶対に自殺なんてしない。

そう誓いました。まあ、たまにその誓いを破りたくなることもありますが。今のところ生きてますね。奇跡。

そんなわけで。俺はF君の話をしたり書いたりする時は必ず「F君」と君付けで呼びます。呼び捨てに出来る機会は永久に失われてしまった。悲しいことです。とても。

だから皆さんも、会える人とは会って、仲良くできる人とは仲良くしておいたほうがいいです。あと自殺はいけません。俺もなるべくしません。

活動記録が中途半端で止まっていたのも少し気になっていたので、とりあえず、その続編として書いてみました。活動記録自体は今後気が向けばまた書くかもしれません。そんなこんなで今日はここまで。長々と読んでくださりありがとうございました。

最後に、以前F君のことを思って詠んだ短歌を一首。彼のことを「友」と表現したのは、後にも先にもこの短歌だけだな。そういえば。

月に降る雨に打たれている友に傘を渡してやる術がない

では、おやすみなさい。

うたらばブログパーツ短歌投稿作のまとめ

おばんです。

今日はうたらば投稿作のまとめ。テーマは「年」です。今回は既に発表済みの短歌ばかりで目新しいものは無いんですがよろしければ。ちゃんと新作も詠まなきゃなあ。

あれはそう、確か千年前の秋 たった一度のくちづけのこと

中年と女子高生が恋をする漫画を買って読まずに食べた

冒険の書が消えた夜少年はひとりぼっちで大人になった

あたたかな灯のともるあの窓辺まで何光年の道のりだろう

年老いた母の逝く日を想う時遠き港に夕闇は来る

寂しさは万年雪のようでありたまに雪崩を起こしたりする


以上6首。「中年と~」の歌を採用していただきました。中年と女子高生が恋をする漫画、最近ちょっと話題のやつですが、俺が読むといろいろヤバいんじゃないかと思ってw、気にはなってるんですが読んだことないです。面白いのかな。

次回も採用目指してがんばります。では、また。おやすみなさい。

雪の降る夜に

雪の降るみなもに全砲身を向けしずかに錆びてゆくガンタンク 笹井宏之

おばんです。

盛岡は今日も雪降り。休んでいる間に届いた書類とか給与明細とか諸々を受け取りに会社まで行ってきたのですが、帰りにスーパーでちょっとした買い物をしているうちに雪が本格的に強まってきて、ビニール袋を両手に提げて家まで歩くうちに、たった10分で全身真っ白になってしまいました。寒かった…。

そんなわけで今日は笹井宏之さんの一首。ガンタンクが何だか分からない人はこちら→ ガンタンク

雪の降るみなもと無骨なガンタンクとの対比が美しい。もはや乗り手のいないガンタンクがしずかに錆びてゆく。大砲をみなもに向けている、という情景からは戦争の終焉を思わせますが、同時に、もしや人類自体も死に絶えているんじゃないか、とすら思わせる静謐さがこの短歌の魅力。

また、ガンタンクはその形状からも分かるように、基本的には地上戦用のモビルスーツなので、宇宙での戦闘も多い『ガンダム』の中では比較的活躍の場が少なかったりします。このガンタンクも、宇宙では邪魔になる、という理由で廃棄されたものかもしれません。標的の見つからない大砲を誰もいない水面に向け、もはや何も撃つことなく、しずかに錆びていくだけの存在。寂しい。

…などと分かったようなことを書いてますが、正直に告白すると、笹井宏之さんが連作「数えてゆけば会えます」で第四回歌葉新人賞を受賞したとき、俺はどうもその作風に馴染めず、「ボキャブラリィが豊富でリズムもいいと思うが、あまりに抽象的で、イメージ先行の歌が多く、つかみどころが無くて、結局何を言いたいのかよく分からない」と、酷評に近い感想を当時の日記に書いてます。何と見る目のない…。

今あらためて連作を読み返してみると、…意外に当時とあまり変わらない感想を抱いたりするのですが、ただ、あの頃は分からなかった歌やちっともいいと思わなかった歌の良さを改めて発見したりもして、新鮮な気持ちで楽しめました。長いこと短歌を読んでいるうちに、ちょっとは読解力が身についたのかもしれません。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って


等々。まあ、

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい

なんかは、今読んでもさっぱり意味が分からないのですが。

皆が口を揃えて良いと言うものに対して(え、そう?俺いまいち分かんないんだけど)となってしまうと、自分にはその世界が向いてないんじゃないかと思ってしまったりしますが、そんな時でも諦めずに好きなことを続けていれば、ちょっとずつでも成長して、分からなかったものもそれなりに楽しめるようになるんだなー、と、そんなようなことを思いました。うん。

あ、ちなみに先に挙げたガンタンクの歌は連作中のものではありません。以前ネット上で見かけて気に入った短歌なのですが、初出がどこなのか分かりませんでした。おそらく笹公人さんの「笹短歌ドットコム」だと思うのですが…。

最後にひとつおしらせ。Twitterで千原こはぎさんが企画した、総勢66名!の歌人による合同短歌集『ぬくたん』に参加させていただきました。詳しい入手方法はこちら→ こはぎうた

そんなこんなで、今日はここまで。では、おやすみなさい。

寂しさでつくられている本棚に人の死なない小説を置く 笹井宏之

積雪

「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか 奥村晃作

おばんです。

今日は一日中雪降り。仕事探しがライフワークと化しているので、新年初ハロワと洒落込んできたのですが、みぞれ混じりの雪が間断なく降り続けているし風も強いし道路もびちゃびちゃだし仕事も見つからないしで散々な一日でした。もう嫌。

今日は首都圏でも積雪7センチ?とかで、交通機関にも影響が出て大変だったようです。ずっと東北で暮らしているとついつい「たった7センチで」等と言ってしまいそうになりますが、普段めったに雪が積もらない地域と、きちんと備えのしてあるこちらとでは、一概に比較できませんね。

ただ、積雪のたびに交通機関が遅れたりする状態だと、そこにプラスして大きな地震が来たりしたらパニックになっちゃうだろうな、とちょっと心配になります。滅多にない積雪対策に割ける予算なんか無いのかもしれないけれど、毎回毎回雪が降るたびに同じような大騒ぎをしているんだから、もうちょっと何とかしたらいいのに、と思わないでもありません。

今日の短歌は奥村晃作のあまりにも有名な一首。普通なら何も思わず聞き流してしまう情報に対して「どこが」とつっこみを入れる、その集中力。小池光が「局所主義」と呼んだこの集中力が奥村作品の特徴で、それが、他の誰にも真似できない異様な迫力を与えているのだ、と思います。俺が今さら言うまでもないことですが(笑)

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

単にミツビシのボールペンが好きだ、というだけの歌なんですが、ミツビシへの執着の強さがやはり異様な迫力を与えています。

次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く

道路脇に立って、次々走り去る自動車をじっと観察し、「あの運転手も前を向いている。あの運転手も前を向いている」と呟いて…いたりはさすがにしないでしょうが、そういう情景を思い浮かべてしまうような、常軌を逸した視点。目の前にあるものだけに全力で集中するあまり、常識も道理も存在しなくなる、おそろしい世界。

そんな異様な世界観と、平明でユーモラスな文体との組み合わせが奥村作品の魅力だと思います。まあ、俺が今さら言うまでもないことなんですが(大事なことなんで二回)

あ、今日の短歌は三首とも穂村弘『短歌という爆弾』(小学館)からの孫引きです。初出に関しては、二首目は『鴇色の足』、三首目は『三齢幼虫』だということは、また別のアンソロジー本をチェックして分かったのですが、肝心の掲出歌が分かりませんでした(恥)

では、また。明日も盛岡は一日中雪の予報です。首都圏の雪は峠を越えたということですが、引き続き防寒、また転倒への対策も気をつけてください。

明日は久々に会社に行く日です。そろそろ社会復帰しなきゃ。では、おやすみなさい。

本を読むろくでなし

本を読むろくでなしかと今思へば父のなげきの言ぞ正しき 小笠原和幸

おばんです。

昨日『歌壇』2月号を買ってきたので、今日は一日それを読んで過ごしました。至福のとき。
2月号は年に一度の歌壇賞の発表号。今回もツイッターなどでよく見かける方々の名前が候補者の中に散見されて、読んでいて楽しいと同時に刺激を受けます。あと選考座談会が面白い。
個々の連作や気になった短歌についての感想は、いつかきちんとまとめてここに書きたいです。毎年そう言ってて結局書けずじまいですが。あ、次回は俺が受賞するのでよろしく(これも毎年言ってる)。

さて。閑話休題。

世間的に、最近の若者は活字離れが酷いとか、いやいや電子書籍を含めればむしろ読んでいるとか、色々言われていますね。俺はどっちの意見が正しいのかよく分かんないんですが、ひとつ言いたいのは、俺の地元には本屋も無ければコンビニも無いんですよ。本を手に入れるためには、車で30分走らなければいけない。
ずっとそういう環境で暮らしていれば、読書の習慣なんて身につかなくて当たり前なんです。電子書籍もネット通販も関係ない。

で、そういう田舎というのは全国に少なからず点在すると思われます。活字離れ云々は都会のほうだけの話で、うちの地元みたいなド田舎では今も昔も状況は大して変わらないんじゃないかな、と思ったりもします。

もちろん、そういうところで育っても、学校の図書室や村の図書館なんかで読書の楽しみに目覚めてしまう子どもはいるわけですが、そういう子どもに周囲の風当たりは結構キツかったりするのです。何より親があまり良い顔をしません。新刊が欲しいという理由で遠い街まで行きたがる。小遣いをやれば大半は本に費やされる。それらが部屋にどんどんたまって埃っぽくなる。屁理屈ばかり覚え、口ばかり達者になり…、と、ちっとも良いことがありません。

先祖代々そういうところに住んでいるので、両親も祖父母も読書習慣など身についておらず、休日に部屋で本を読んでいるだけで変わり者扱いされたり駄目人間呼ばわりされたりします。マジで(うちだけ?)

なぜ急にこんな話をしたかというと、先ほど母が電話を寄越してきて、「どうせ部屋でゴロゴロしながら本ばかり読んでいるんだろう」と苦々しい口調で言うのにしばらく付き合わされたので。まあ愚痴を聞くのも親孝行のうち、と今では割り切ってますが。

…まあ実際部屋でゴロゴロしながら本ばかり読んでるしな。済まぬ。

小笠原和幸さんは個人的に敬愛して止まない歌人の一人。俺と同じく岩手県出身ということもあって、そういう意味でもこの短歌にはシンパシーを感じます。歌集『風は空念仏』より。

何にせよ、本を読まないろくでなしと本を読むろくでなしなら読むほうがまだマシ、と考えて、子どもが部屋でゴロゴロしながら本ばかり読んでいてもお父さん・お母さんは大目に見てあげましょう。同じ阿呆なら踊らにゃ損々。

最後に。阪神淡路大震災から、今日で21年目だそうです。俺にとっては記憶も定かでなくなるほどの長い時間ですが、当事者にとっては決して忘れられない記憶であり、消えない傷であるでしょう。改めて、亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、遺族・関係者の皆様の健康と安全を祈ります。

では、また。おやすみなさい。

スターウォーズを見てきた

ちんちんの皮をむくとき鳴っているダース・ベーダー登場の音 鹿ヶ谷街庵

おばんです。

暖冬とばかり思っていましたが、年が明けてからは寒い毎日が続きますね。風邪など引いていませんか。俺は手術の傷も癒えて元気です。

そんなわけで、今日は寒風吹き荒ぶなかを『歌壇』2月号を求めて東奔西走。紆余曲折を経て、大通りのさわや書店で無事購入してきました。俺、明日はこれを読んで過ごすんだ。

で、調子に乗ってずっと見たかった『スターウォーズ フォースの覚醒』を見てきました。前作を見てからかなり時間が経って、内容も登場人物もうろ覚えだったのですが、あまり問題なく物語に入り込めて一安心。SF群像劇の割には設定、人間関係ともあまり複雑でなく(というか、複雑な設定を理解してなくてもそれなりに楽しめる)、間口の広いつくりになっているのがスターウォーズのいいところですね。面白かった。

そんなこんなで掲出歌。なかなか衝撃的な歌です。

ダースベーダーのマスクとちんちんの・・・、んー、何と言うか、あー、・・・亀頭。言われてみれば確かに似ている。形といい、色といい(いや、あんな黒光りはしませんが)。しかし普通はわざわざそんなこと考えない。言われてみて初めて気づく。そしてそれに気づいたが最後、次からはもう、似たようなシチュエーションに立たされた際には否応無く流れてしまうのです、ダースベーダーのテーマが。読んだ後で世界の(亀頭の?)見え方が変わってしまう。そんな発見のある歌です。

もう一点。俺が中学生のとき読んだ学術雑誌『スコラ』に載っていた論文によると、日本人男性の6~7割は仮性だということでした。ので、誰が何と言おうが我々が与党。珍しくマジョリティなのです。誇りと共に立ち上がれ仮性人(勃ち上がれ、と書こうとしてさすがに自重)。そんなわけで、この短歌には多くの日本人男性が共感するはず。しろ。

穂村弘は著書『短歌という爆弾 -今すぐ歌人になりたいあなたのために-』(小学館)のなかで次のように書いています。

短歌が人を感動させるために必要な要素のうちで、大きなものが二つあると思う。それは共感と驚異である。 (p114)

街庵さんのこの短歌には、先に挙げたとおり、その二つの要素がどちらも含まれている。つまり名歌だということです。ほむほむが言うんだから間違いない。

ただひとつ困ったことがあって。今日スターウォーズを見ていたとき、途中でダースベーダー登場の音が流れるシーンがあるのですが、その音楽を聞いた時にこの短歌を思い出してしまって、迂闊にも吹き出しそうになってしまったのです。俺はもう、平常心でダースベーダーを見られない身体になってしまったのかもしれない…。この症状が深刻な場合、最悪慰謝料を請求することになるかもしれません。
「原告は、この短歌のせいでダースベーダーがちんちんにしか見えなくなってしまい…」 …、やっぱり訴えるのは止めとくか。

鹿ヶ谷街庵さんは自身のブログにスターウォーズをテーマにした連作を発表してます。どれも馬鹿で下品で最低で最高なので是非。 → アマゾンに背を向けて

そんなこんなで今日はここまで。ライトセーバーの手入れをしてから寝ることにします。おやすみなさい。

私の牛丼を返しなさい

紅生姜だらけになった牛丼の中にサラリーマンのかなしみ 龍翔

おばんです。

今日は盛岡で『歌壇』2月号が発売される日だったので、寒さをものともせず書店まで買いに行ったのですがあえなく品切れ。一緒に購入してくる予定だった漫画まで買い忘れてしまって、何の成果も無くひとりトボトボと帰宅することになりました。明日こそ。

で、今日はちょっと遠出したので、久々に外食してきました。といっても牛丼ではなくラーメンと炒飯ですが。旨かった。

牛丼屋にはよく行きます。いつもは深夜一時までの仕事で、外でご飯を食べてから帰ろうという場合他に選択肢がほぼ無いもので。
深夜二時の吉野家はいつ行っても気だるい雰囲気が漂っていて、萎びた兄ちゃん達とくたびれ果てたおっさん達が暗い顔してもくもくと牛丼を食ってました。まあ俺もその一人なわけですが。

一度、派手な服装をした女性がひとりで入ってきて、猛烈な勢いで牛丼をかっこんで颯爽と去っていったのを見たことはありますが(あれはかっこよかった)、基本的に、あまり女性は見かけませんね。大学が近いので、場違いにハイテンションな若者はたまに居ますが。

外食と言っても華やかなイメージは一切無し。皆どことなく寂しげに、作業をこなすように黙々と箸を動かしている。深夜二時に牛丼屋にいる連中なんて、真っ当な世間から片足はみ出したような奴ばかりだ、などと、自分のことは棚に上げつつそんなことを思ったりするわけです。

紅生姜だらけの牛丼は悲しい。与えられたものに満足できないのは悲しい。かといって、より良いものを目指して別のところに行くわけでもない。妥協だけを重ねて、不満だけを重ねて、血の色の紅生姜が牛丼の上に積み重なっていく。かなしい。

そんなこんなで、龍翔さんのこの短歌が俺は大好きだったりします。うたらばブログパーツ短歌「生」採用歌。個人的な事情を重ね合わせてしまっているので、短歌そのものをちゃんと読み取れているのかは自信がありませんが。…、まあ、生まれてこの方そんな自信は持ったことがないので平気だ。

ふう。書いているうちに夜も更けて、夜食の時間になりました。ちょっと牛丼食ってくる、という気分では残念ながら無いので(寒いし)、インスタントラーメンでも食います。あ、今回のタイトルは分かる人だけ分かる『キン肉マン』ネタ。今も連載中だって知ってる?

ではまた。おやすみなさい。

眠ってばかりの国

ともすれば目に覆ひかぶさつてくるまぶた・目のふた・不確かな昼 石川美南

おばんです。

毎晩無駄に夜更かしをしているせいもありますが、近頃は毎日昼寝して過ごしてます。世間からどんどん隔絶してゆく・・・。
そんなわけで今日はこの一首。歌集『裏島』収録の連作「眠り課」より。

「覆ひかぶさつてくる」という表現が面白い。まるで自分のものではない何かが下りて来るような感覚。抗い難い大きな力の存在を感じさせます。

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも 北原白秋

を連想します。超常的なものに対するおそれ。実際はただ眠いだけだったり、卵を取ってるだけだったりするわけですが。視点を変えると思いがけない世界が見えてくる。これも短歌の面白さですね。

石川さんの歌に話を戻すと、後半は「まぶた・目のふた・不確かな」と、「ふた」の連続で生まれるリズムが読んでいて心地よく、ほどよく眠気を誘うような響きがあります。

はあ。書いているうちにまた昼寝したくなってきた。もう夜なんで明日まで昼寝できないのが残念でなりません。

明日は『歌壇』2月号の発売日(全国的には今日発売ですよ)なので書店を巡って確保してくる予定。首尾よく買えたらそのうち感想を書きます。

では、また。おやすみなさい。

幸せって何だっけ

幸せに僕がなってもいいのですずっと忘れていたことですが 牛隆祐

おばんです。

退院から早一ヶ月あまりが過ぎました。ようやく手術の傷もふさがって、もうほとんど入院前と変わらないぐらいまで回復したのですが、いろいろと都合があってまだ休職中の身です。

実家での療養を経て盛岡に帰ってきて一週間。両親や兄一家と共に過ごした実家での生活も賑やかで楽しいものでしたが、ひとりになるとやっぱり落ち着きます。寂しさはあるものの、ここが自分の居場所なんだと強く感じる。これが自由というものかしら。誰からも干渉されない幸せ。

ところで、「幸せ」は元々「仕合せ」と書いたのだとか。意味は「巡り合せ」とほぼ同じ。「幸福」と同じ意味で「幸せ」と表記するようになったのはいつからかというと、これが結構最近で、文芸作品の用例などから見るに大正時代に入ってからのようです。明治期の夏目漱石なんかは自作のなかで「悪い仕合せで~」というように書いていた、というのを以前何かで読んだような気がしたのですが、ネタ元の本がちっとも見つからない。ので、これは嘘かもしれないので忘れて。

要するに、人間にとっては「巡り合う」ことがすなわち「幸せ(幸福)」なのだ、と、そういうことなのかもしれません。とか言いつつ、俺が人生で一番幸せだったのは大学に受かって一人暮らしを始めてからの数年間なんですが。まあそれも、拒絶というかたちで他者と関わっているとも言えるわけで、結局どんな生活を送ろうと「巡り合せ」の輪の中から出ることは出来ないのかもしれません。

牛さんの短歌は以前Twitterで見て覚えたもの。なので初出は分かりません。

「です・ます」調を用いて、あたかも他者に向かって語りかけているようですが、おそらくその相手は、幸せになることをずっと忘れていた自分自身なのではないか。この歌からは「幸せ」に対する単純な喜びだけではなく、幸せになることに対するおそれの感情が読み取れて、それが、常日頃「リア充死すべし」と公言して止まない俺のようなモンの心にも刺さるのですよ。ところでリア充ってそろそろ死語?

この歌の肝になっているのは助詞「が」の働きだと思うのですが、文法の知識が皆無なので説明できない・・・。何と言うんだろう、例えば「俺は正義の味方だ」というのと「俺が正義の味方だ」というのとでは、後者のほうがオンリーワン感が出るじゃないですか。「他の誰でもない、俺こそが」みたいな・・・。分かる?

・・・なんか凄く馬鹿っぽい文章になってしまった。まあいいや。そんなこんなで、この歌が好きだということが何となく言いたくなったのでした。

俺はといえば一人暮らしの気楽さに完全に慣れてしまって、これこそが「幸せ」だと思って日々過ごしているわけですが、それでもたまに無性に寂しくなる夜があるもんで。理想を言えば平安時代の通い婚みたいな感じで、普段は別居しつつたまに行き来してセックスするような関係が理想なんですが、誰か相手してくんない(マジで)

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます  中島みゆき「糸」より


さーてそろそろ寝るべー。幸せ幸せ俺は幸せ。おやすみなさい。

タダより高いものは無い

おばんです。

俺が創刊号から参加させて頂いている同人誌『短歌雑誌ネガティヴ』の最新號がこのたび発行されました。ただ今無料配布の受付期間中です。1/24(日)まで。申し込みはこちらからお願いします。→ https://system.formlan.com/form/user/negative57577/1/
※受付は終了しました。たくさんの申し込みありがとうございました。

さて。「無料配布」というと、色々な反応をされます。多いのは「タダで送ってもらうなんて申し訳ない」というもの。次いで「無料は良くない。ちゃんと制作費に見合った金額を付けるべきだ」というもの。あと、はっきり言われたことは無いですが「タダなんて怪しい。何か良からぬ企みがあるに違いない」というのもおそらくあるでしょう。

それらの意見や疑問に対して、ちょっと思うところを書いてみます。ただし、以下の文章はあくまで俺個人の考えであって、『ネガティヴ』編集部の総意ではないことをあらかじめお断りしておきます。

まず、俺は同人誌でも何でも、一般に広く配布する創作物にはなるべく適正な価格を付けて売るべきだ、と思っています。なんでもかんでも無料にすればいい、とはちっとも思わない(慢性的に金欠なので、そうなってくれればいいなーと妄想したりはしますが)。

ではなぜ『ネガティヴ』は無料なのか、というと、一言で言うと「作る側のワガママ」なのです。

『ネガティヴ』は元々、発行部数10部くらいのぺらっぺらのコピー誌でした。参加メンバーが一人一冊ずつ手にして、それで終了、というような。そんなものを何でわざわざ作ったかというと、ひとえに自己満足の為、それ以外の何物でもないのです。

仲間内でわいわい言いながら楽しむためのアイテム。男子校の文化祭みたいなノリで出来たのが『ネガティヴ』のはじまりです。初期メンバーは全員共学でしたが。女子に縁の無い者達の集まりだったもんで・・・、ほっとけ。

何で短歌雑誌になったかというと、その時興味を持っていたのが短歌だった、というそれだけのことで、時期が違えば全然別ジャンルの本を作っていたでしょう。つまり我々にとって一番大事だったのは「やりたい放題やれる場所」であって、その表現方法が短歌だったのは必然ではなく偶然なのです。はっきり言って。

なので、『ネガティヴ』の理想は「優れた短歌同人誌」よりも「世界一面白いチラシの裏の落書き」だったりします。そこを全力で目指している。

お金をいただく、というのには、当然責任が生じます。買ってくれた人に満足してもらえる内容にしなければいけない。今の方向性でそれをやるということは、当然「優れた短歌同人誌」を目指す、ということです。チラ裏ではなく。

しかし我々はそこを目指したくはない。むしろもっとチープに、もっとくだらないものにしていきたい。

「優れた短歌同人誌」なら世の中にたくさんあります。そして、もし我々がそこを目指したとしても、一流のクオリティには決して辿り着けないでしょう。そういうのは読者として楽しむだけで充分です。

参加者が増えたおかげで、収録されている短歌の質・量ともに格段に向上しました。それには感謝しかないのですが、個人的には、もっとどうしようもない失敗作や破滅的な実験作がたくさん載っていてほしい。そしてそれを全力で小馬鹿にしたい!というのは冗談ですが、もっと雑多な作品の受け皿になりたいな、という思いは常にあります。求む下手な人!(本音です)

そんなわけで、『ネガティヴ』のネガティヴたるところは、短歌よりもむしろ、チープな表紙や、真っ直ぐ刺さっていないホチキスや(歪んでるのは大抵俺が留めたやつです。済まぬ)、ネガティヴ/ポジティヴ通信などの短歌以外の記事、そして全体に漂うぐだぐだ感だったりします。

そして、その味を出すためには無料でなければならないのです。お金をいただく事のプレッシャーに、我々が耐え切れない。

発行者であるロンドン太郎氏は言うに及ばず、編集に参加しているカリフラ沢ブロッ子氏や海野もずく氏の金銭的負担は少なからざるものがあるようですが、俺の懐はまったく痛んでいないので何の心配も要りません(おい)。皆もネガティヴ編集部に励ましのお便りを出そう!

…しかし揃いも揃ってなんてペンネームだ。馬鹿の集まりか。

そんなわけで、『短歌雑誌ネガティヴ』は今のところ無料なのです。ただし、俺への個人的な献金はいつでも受け付けてますので何卒よろしく。そんなこんなで今日はこれまで。おやすみなさい。

駅へ

おばんです。

病気療養中と称して毎日家でゴロゴロしているわけですが、さすがに退屈を持て余し気味の今日この頃。

最近は毎朝10時頃に起床し、コーヒーを飲みながらしばし読書。体調が良ければ午後は散歩したりして過ごしています。なんか、そういう風に書くと優雅な毎日ですね。

体調が良くなるまで酒は飲まないと決めたのですが、その分コーヒーを飲む回数が増えました。読書しながら2杯、散歩から帰って1杯、ブログを書きながらまた2杯、という感じで、勿論今もコーヒーカップからは湯気が立ちのぼっております。旨い。

最近読んでいるのは上田早夕里『深紅の碑文』(早川書房)、千草創一『砂丘律』(青磁社)、そして山田航編著『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)の三冊(『深紅の碑文』は上下巻ですが、上巻はもう読んだので)。

並行して読んでいると頭がパカーンとなっちゃうので、短歌はちょっとずつ。情報量が多くて疲れちゃうので(笑)

『桜前線開架宣言』は1970年以降に生まれた歌人40人の紹介と短歌の載ったアンソロジーです。毎日1人ずつのペースで読み始めて3日目。今日読んだのは松村正直さんのページ。

松村正直さんの第一歌集『駅へ』の刊行は、ウィキペディアによると2001年とのこと。俺が読んだのはたぶん2003年か2004年だと思うのですが、読んだときの衝撃は今でも覚えています。短歌を始めて数年経つのに、自分の思うような短歌が全然詠めなくて悩んでいた頃。なんか面白い歌集ないかなー、と思って図書館で何気なく手に取ったのがきっかけでした。

曇天を支え切れずに縮みゆく電信柱を責める気はない 松村正直

押ボタン式信号と気付かずにここで未来をじっと待ちます

あなたとは遠くの場所を指す言葉ゆうぐれ赤い鳥居を渡る


これらの短歌を読んだとき、俺は(ああ、自分の詠みたかった短歌の完成形がここにある。俺もこういう短歌が詠みたい!)と強烈に憧れたのだが、その憧れが強すぎて、読めば読むほど影響されてしまいそうな気がして、結局その歌集を自分で買おうとは思わなかったし、通読したのもその一回きりだった。

今回、『桜前線開架宣言』で久々に『駅へ』収録の短歌を読んだのですが、やっぱり良かった。俺もこういう短歌が詠みたい!(まるで成長していない…)

フリーターですと答えてしばらくの間相手の反応を見る 松村正直

などのフリーターの歌も多くて、それもまた同じ境遇だった当時の俺にシンパシーを感じさせたものですが、山田航さんが書いている著者の紹介を読んだら「東大卒」、「あまりに有能すぎてすぐに正社員に誘われる~」云々。…、ちっとも同じ境遇じゃねぇな…。

とか書いているうちに、気づいたらコーヒーがすっかり冷めてしまいました。もう1杯淹れ直すことにします。『桜前線開架宣言』はとても面白いのでおすすめですよ。短歌好き必読。『砂丘律』も良いです。すごい密度。読み終わったら感想を書きたい。

そういえば金曜ロードショーのルパンをBGM代わりに流していたのですが、ブログ書きながらだと全然頭に入ってこないですね、やっぱり。一応録画してるから後で見ます。では、また。おやすみなさい。

温かな缶コーヒーも飲み終えてしまえば一度きりの関係 松村正直

うたらばブログパーツ短歌投稿作のまとめ

おばんです。

今回も以前詠んだ短歌の再利用。うたらばブログパーツ短歌(テーマ「着」)です。

家に着くまでが遠足 完全に死体を処分するまでが恋

好きになってくれる人しか好きじゃない着払いで届ける恋心

朽ち果てた脳の廃墟にプライドが我が物顔で住み着いている

目覚めたら背中に羽根が生えていてとりあえず着る洋服が無い

馬鹿にしか見えない服を着てるのに誰もこちらを振り返らない

新着のメールの中にひっそりと紛れ込んでる召集令状

先着で一名様に恋人の座をプレゼント!(返品は不可)

脱ぎ捨てたままの上着に染み付いた別れ話に至る顛末


以上八首。「目覚めたら~」の短歌が採用になりました。イェイ!

今回は新作を比較的たくさん詠めたので良かったです。まあ採用されたのは昔の作品ですけど。

基本的に、うたらばブログパーツへの投稿作品はすべてツイッターとブログに公開するようにしています。題詠で作ったものは他に転用しづらい、というのもありますが、採用されなかったものでも誰か個人的に気に入ってくれる人が居るかもしれない、という思いも若干あります。せっかく詠んだものを無駄にしたくない、という貧乏性が一番の理由ですが(笑)

次回の締め切りももうすぐ。まだ一首も詠めてないので大変ですが、何とか五首くらいは投稿できれば、と思ってます。

ではまた。

2015年に詠んだ歌

おばんです。

明けましておめでとうございます。退院以来約一ヶ月だらだらゴロゴロしっ放しの山本左足です。まいど。

去年はとにかくすべてにおいて絶不調で、まったく良い事の無い一年でした。今年は良い事がありますように。

短歌に関しても、過去10年で最も詠めなくなった年でした。このまま終わってしまうのも若干寂しいので、今年は数だけでもたくさん詠めるよう頑張ります。

そんなこんなで数少ない中からですが、去年詠んだ短歌から個人的に好きだったものをいくつか選んでみました。

お互いにLOSE-LOSEの関係のままでいれたら良かったのにな

地獄にも階層がありここはまだ割とやさしいタイプの地獄

しあわせになる義務なんか無いのだし僕と一緒に踊りませんか

おそらくは一生歩くことのない路地の手前で今夜も右へ

起承結 風にちぎれてゆく雲のように自然なさよならだった

昼深し 意識の高い人たちを一網打尽にしてねむりたい

音もなく今日も誰かの死は過ぎてスープに浮かぶクルトンの粒

どうやって今日まで生きてきたのかを思い出せない春の三叉路

三月が僕の部屋にも訪れて別れ支度を済ませと迫る

僕が居て風ははじめて自らが風であるのに気づいた様子

あたたかな灯のともるあの窓辺まで何光年の道のりだろう

春を待つ声無き声を聞きながら有り得たはずの未来を想う

息絶えたはずの心で俺はまだ雨の心配などをしている

ジャイ子でもいいじゃないかと思いつつ春の嵐を眺めて過ごす

9巻を買って帰って本棚を見たらやっぱり8巻が無い

生きているものより死んだものが好き 牛、豚、羊、魚、鶏、

少しだけ君の悲劇に紛れ込み紫陽花の咲く小路を抜ける

ほたるほたる真面目に生きちゃ馬鹿を見るどっちの水も甘くて苦い

生ぬるいコーヒーを飲む「戦前」といつか呼ばれるかもしれぬ夏

後悔をするに決まっている事をそうと知りつつやるのが好きだ

これからの日々をたとえて言うならば「世界で一番気長な自殺」

そうですねきっと地獄に居なければ見れない花もあるのだろうし

本日も全国的に朝となり否応無しに始まるでしょう


ツイッターに流したものを一通り読み返して「いいね!」と思ったやつを選んでみました。大半は去年の3月までに詠んだやつだったりします。4月以降何やってたんだろう・・・。

ツイッター以外の未発表短歌も載せようと思ったのですが、意外に多くなってしまったのでまた今度。まあ、未発表のやつはどこかに投稿するのに使うかもしれないので、ここに載せるのは止めるかもしれませんが。

ブログの更新も滞っていたので、またぽつぽつと何かしら書いていければと思います。妄想したいですね妄想。最近現実に打ちのめされて、あまり妄想してないので。

世のためにも人のためにもならないような馬鹿な事をたくさん書いていければ、と思います。

では、また。おやすみなさい。

お弁当あたためますか 真っ暗な帰り道でも凍えぬように
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。