幸せって何だっけ

幸せに僕がなってもいいのですずっと忘れていたことですが 牛隆祐

おばんです。

退院から早一ヶ月あまりが過ぎました。ようやく手術の傷もふさがって、もうほとんど入院前と変わらないぐらいまで回復したのですが、いろいろと都合があってまだ休職中の身です。

実家での療養を経て盛岡に帰ってきて一週間。両親や兄一家と共に過ごした実家での生活も賑やかで楽しいものでしたが、ひとりになるとやっぱり落ち着きます。寂しさはあるものの、ここが自分の居場所なんだと強く感じる。これが自由というものかしら。誰からも干渉されない幸せ。

ところで、「幸せ」は元々「仕合せ」と書いたのだとか。意味は「巡り合せ」とほぼ同じ。「幸福」と同じ意味で「幸せ」と表記するようになったのはいつからかというと、これが結構最近で、文芸作品の用例などから見るに大正時代に入ってからのようです。明治期の夏目漱石なんかは自作のなかで「悪い仕合せで~」というように書いていた、というのを以前何かで読んだような気がしたのですが、ネタ元の本がちっとも見つからない。ので、これは嘘かもしれないので忘れて。

要するに、人間にとっては「巡り合う」ことがすなわち「幸せ(幸福)」なのだ、と、そういうことなのかもしれません。とか言いつつ、俺が人生で一番幸せだったのは大学に受かって一人暮らしを始めてからの数年間なんですが。まあそれも、拒絶というかたちで他者と関わっているとも言えるわけで、結局どんな生活を送ろうと「巡り合せ」の輪の中から出ることは出来ないのかもしれません。

牛さんの短歌は以前Twitterで見て覚えたもの。なので初出は分かりません。

「です・ます」調を用いて、あたかも他者に向かって語りかけているようですが、おそらくその相手は、幸せになることをずっと忘れていた自分自身なのではないか。この歌からは「幸せ」に対する単純な喜びだけではなく、幸せになることに対するおそれの感情が読み取れて、それが、常日頃「リア充死すべし」と公言して止まない俺のようなモンの心にも刺さるのですよ。ところでリア充ってそろそろ死語?

この歌の肝になっているのは助詞「が」の働きだと思うのですが、文法の知識が皆無なので説明できない・・・。何と言うんだろう、例えば「俺は正義の味方だ」というのと「俺が正義の味方だ」というのとでは、後者のほうがオンリーワン感が出るじゃないですか。「他の誰でもない、俺こそが」みたいな・・・。分かる?

・・・なんか凄く馬鹿っぽい文章になってしまった。まあいいや。そんなこんなで、この歌が好きだということが何となく言いたくなったのでした。

俺はといえば一人暮らしの気楽さに完全に慣れてしまって、これこそが「幸せ」だと思って日々過ごしているわけですが、それでもたまに無性に寂しくなる夜があるもんで。理想を言えば平安時代の通い婚みたいな感じで、普段は別居しつつたまに行き来してセックスするような関係が理想なんですが、誰か相手してくんない(マジで)

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます  中島みゆき「糸」より


さーてそろそろ寝るべー。幸せ幸せ俺は幸せ。おやすみなさい。
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タダより高いものは無い

おばんです。

俺が創刊号から参加させて頂いている同人誌『短歌雑誌ネガティヴ』の最新號がこのたび発行されました。ただ今無料配布の受付期間中です。1/24(日)まで。申し込みはこちらからお願いします。→ https://system.formlan.com/form/user/negative57577/1/
※受付は終了しました。たくさんの申し込みありがとうございました。

さて。「無料配布」というと、色々な反応をされます。多いのは「タダで送ってもらうなんて申し訳ない」というもの。次いで「無料は良くない。ちゃんと制作費に見合った金額を付けるべきだ」というもの。あと、はっきり言われたことは無いですが「タダなんて怪しい。何か良からぬ企みがあるに違いない」というのもおそらくあるでしょう。

それらの意見や疑問に対して、ちょっと思うところを書いてみます。ただし、以下の文章はあくまで俺個人の考えであって、『ネガティヴ』編集部の総意ではないことをあらかじめお断りしておきます。

まず、俺は同人誌でも何でも、一般に広く配布する創作物にはなるべく適正な価格を付けて売るべきだ、と思っています。なんでもかんでも無料にすればいい、とはちっとも思わない(慢性的に金欠なので、そうなってくれればいいなーと妄想したりはしますが)。

ではなぜ『ネガティヴ』は無料なのか、というと、一言で言うと「作る側のワガママ」なのです。

『ネガティヴ』は元々、発行部数10部くらいのぺらっぺらのコピー誌でした。参加メンバーが一人一冊ずつ手にして、それで終了、というような。そんなものを何でわざわざ作ったかというと、ひとえに自己満足の為、それ以外の何物でもないのです。

仲間内でわいわい言いながら楽しむためのアイテム。男子校の文化祭みたいなノリで出来たのが『ネガティヴ』のはじまりです。初期メンバーは全員共学でしたが。女子に縁の無い者達の集まりだったもんで・・・、ほっとけ。

何で短歌雑誌になったかというと、その時興味を持っていたのが短歌だった、というそれだけのことで、時期が違えば全然別ジャンルの本を作っていたでしょう。つまり我々にとって一番大事だったのは「やりたい放題やれる場所」であって、その表現方法が短歌だったのは必然ではなく偶然なのです。はっきり言って。

なので、『ネガティヴ』の理想は「優れた短歌同人誌」よりも「世界一面白いチラシの裏の落書き」だったりします。そこを全力で目指している。

お金をいただく、というのには、当然責任が生じます。買ってくれた人に満足してもらえる内容にしなければいけない。今の方向性でそれをやるということは、当然「優れた短歌同人誌」を目指す、ということです。チラ裏ではなく。

しかし我々はそこを目指したくはない。むしろもっとチープに、もっとくだらないものにしていきたい。

「優れた短歌同人誌」なら世の中にたくさんあります。そして、もし我々がそこを目指したとしても、一流のクオリティには決して辿り着けないでしょう。そういうのは読者として楽しむだけで充分です。

参加者が増えたおかげで、収録されている短歌の質・量ともに格段に向上しました。それには感謝しかないのですが、個人的には、もっとどうしようもない失敗作や破滅的な実験作がたくさん載っていてほしい。そしてそれを全力で小馬鹿にしたい!というのは冗談ですが、もっと雑多な作品の受け皿になりたいな、という思いは常にあります。求む下手な人!(本音です)

そんなわけで、『ネガティヴ』のネガティヴたるところは、短歌よりもむしろ、チープな表紙や、真っ直ぐ刺さっていないホチキスや(歪んでるのは大抵俺が留めたやつです。済まぬ)、ネガティヴ/ポジティヴ通信などの短歌以外の記事、そして全体に漂うぐだぐだ感だったりします。

そして、その味を出すためには無料でなければならないのです。お金をいただく事のプレッシャーに、我々が耐え切れない。

発行者であるロンドン太郎氏は言うに及ばず、編集に参加しているカリフラ沢ブロッ子氏や海野もずく氏の金銭的負担は少なからざるものがあるようですが、俺の懐はまったく痛んでいないので何の心配も要りません(おい)。皆もネガティヴ編集部に励ましのお便りを出そう!

…しかし揃いも揃ってなんてペンネームだ。馬鹿の集まりか。

そんなわけで、『短歌雑誌ネガティヴ』は今のところ無料なのです。ただし、俺への個人的な献金はいつでも受け付けてますので何卒よろしく。そんなこんなで今日はこれまで。おやすみなさい。