グローランプ

ケイコウトウガキレカケテイルイエジュウノケイコウトウガキレカケテイル! 藤原龍一郎

おばんです。

ようやく職場に復帰したものの、まだ勘が戻らず邪魔者扱いの日々です。手術の痕がチクチク痛むのはストレスのせいか。もっとちゃんとしなきゃ…と思いつつ、仕事を終えてボロアパートへ帰る。午後11時。キッチンに電気を点けて夕飯の支度をしようとしたら、何故か電気が点かない。リビングの電気は点くので停電ではない。不審に思いつつ、寝室の蛍光灯を外してキッチンへと持って行き、取り替えてみたがやっぱり点かない。試しにキッチンの蛍光灯を寝室に付けてみたらちゃんと電気が点く。何だこれ。故障?

…ということで今回のタイトル。要するに蛍光灯ではなく、グローランプが切れていたというだけの話でした。寝室のグローランプをキッチンと取り替えて一件落着(寝室は文字通り寝るためだけの部屋と化しているので問題なし)。ドタバタした。

夜遅くまで仕事をしていると、部屋に電気が点かないのが何より不便です。なかでもキッチンは大変。リビングのほうが、明かりを発するもの(パソコンとか)が色々ある分まだマシなんじゃないかと思うほど。

まあ一番大変、というか悲惨だったのはトイレの電球が切れていた時ですが。うちはほら、和式なので。夜中、真っ暗ななかで用を足すのはなかなか…、悲惨でしたね。あれは惨い事件だった。

そんなこんなで、今日の短歌は藤原龍一郎の有名な一首。片仮名表記が異様な迫力を生み出しています。この表記によって、非常事態感が際立っている。

個人的に、この短歌を読むと、藤子F不二雄のマンガによくある展開ーマスコットキャラ的なロボット(コロ助とか、ゴンスケとか)が、何らかの理由で電子頭脳に不具合を起こしてしまい、その結果暴走して事件を起こしてしまう、というーそういう場面を想起します。目をギラギラさせて、意味不明なことを喚きながら走り回る。周囲からすればくだらない事でも、本人(本ロボ)からすれば大真面目で、それが、面白さと同時に怖さも感じさせる、そういう感じ。

家中の蛍光灯が一斉に切れかける、というのは確かに非常事態ではありますが、にしてもこんなにパニックになるか、という程のうろたえかた。それが面白くて、少し怖い。狂気を感じます。

藤原龍一郎さんは固有名詞を用いた短歌をたくさん作っていて、以前このブログにも書いた

ああ夕陽 明日あしたのジョーの明日あしたさえすでにはるけき昨日きのうとならば

が有名です。他に好きなのでは

何告げる真夜の稲妻ポスターのエレファント・マンもわれもかなしき

林真理子のヌードのように容赦なく秋の没陽いりひがわれを責めるよ

古今亭志ん朝の死を新聞は告げ秋冷の便器の白さ


などなど。

固有名詞を使うのは先行作品との差別化を図る上で有効な一方、その名詞の持つイメージに影響されてしまって自分の言いたいことが上手く伝わらなかったりするものです。また、時代の空気を表現するのには適していても、使われている固有名詞が死語になっていくと必然的に作品自体も通じないものになっていく、という危険も孕んでいます。

藤原作品にとってもそれは例外ではなく、例えば「林真理子のヌード」が今どれだけの人に通じるのかは甚だ疑問ですが、後半の「容赦なく~責める」という描写によって、知らなくても類推できるような書き方になっているところ、また、固有名詞が心情の描写と上手く響き合っているところなど、さすが、第一人者は役者が違う、という感じです。秋の没陽をヌードに例える感性。俺も欲しい。

といったところで今日はここまで。最後に、SMAPの解散報道が騒ぎになっていた頃、ジャニーズ繋がりということでよく思い出していた短歌を一首。

フッくん、ヤッくん、モッくんなどと名づけたる金魚三匹すでに死にたり 藤原龍一郎

あ、今日の短歌の引用元ですが、掲出歌は『東京哀傷歌』、2、3、4、6首目が『夢みる頃を過ぎても』、5首目は『日々の泡、泡の日々』です。引用はもっと慎重に、間違いなく分かりやすくしないとなあ、と思う今日この頃。炎上したくないし。

では、また。おやすみなさい。
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