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雪の短歌

おばんです。

盛岡は今日も雪。終日降り続いてます。
11月までは暖かい日が続いて、ひょっとしたらこのまま暖冬になるのか、と淡い期待を抱いてましたが、12月に入るやいなや本気を出してきましたね。おのれ、冬。

そんなこんなで、今夜は雪にまつわる短歌をいくつか紹介してみようと思います。

さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり (河野裕子)

雪といえばまず思い浮かぶ、とても好きな歌。
「さびしい」のように、直接的に感情を表す言葉はなるべく使わないほうがいい、とよく言われますが、この歌ではいきなり出てきます。当然二句目以降はその「さびしさ」の説明になるのですが、それが「この世のほかの世を知ら」ないことだという。つまり、「この世」の出来事はすべてさびしい、と。読者が想像する「さびしさ」の上限を軽々と超えていくスケールの大きさ。そしてそこから日常的な情景を淡々と綴る下の句へ。夜の駅舎で雪を見ながら、ひとり列車を待っている。その情景が、まるで永遠に続いていくような。美しくもおそろしい、そんな一首。

かなしみの遠景に今も雪降るに鍔(つば)下げてゆくわが夏帽子 (斎藤史)

これも印象的な雪の歌。まあ季節は夏なんですが。作者には雪にまつわる何かかなしい思い出があるのでしょう。夏の炎天下にあっても、心の奥底には止まない雪が降っている。この歌も初句に「かなしみ」という言葉が出てきますが、直後に「遠景」という語を配置することでウェットになりすぎるのを避けている。
因みに、作者の斎藤史はニ・ニ六事件で反乱軍を支援したとして禁固刑に処せられた斎藤瀏の娘。また、同事件の参加者として刑死した栗原安秀は幼なじみで大変仲が良かったそうです。この歌の「雪」は、そのことと関係があるのかもしれません。が、そういった事情を知らなくても共感できるのが、この歌の素晴らしいところだと思います。

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ (穂村弘)

雪が降ると、犬はよろこび庭駆け回り、猫はこたつで丸くなり、歌人は「ゆひら、ゆひら!」と騒ぐ。そのような習性を若手歌人に植え付けた一首。
雪が降ってきたのを見て「ゆひら」とはしゃぐ少女(と断定されている訳ではないですが、何となく)と、その様子を、「雪のことかよ」と、呆れたような、面白がるような気分で眺めている男(作者)。親密な関係。しあわせな情景。
この歌のポイントは、これまた初句の「体温計」だと思います。つまり少女は体調不良であり、男はそれを心配している。少女がはしゃいでいるのは、男に心配させないための配慮であるかもしれない。体温計という、若干不安を抱かせるアイテムが出てくることで、その後の光景のほのぼのした感じが際立つと同時に、甘くなり過ぎるのを防いでもいるのですね。

はあ。疲れた。この程度書くのに1時間半もかかったよ。つたない感想で申し訳ないです。

明日からはもうこんな疲れることはやりません。またおでんの話を書いて、おでんブログにします。嘘です。最後に、上の三首には足元にも及びませんが、俺の短歌も一首。

海だったころの記憶を滲ませてこの手のひらに溶けてゆく雪

よし、コンビニで買ってきたたこ焼きを食べながら酒を飲んで寝よう。
寒い日が続きますので身体に気をつけて。またそのうちに更新します。
では。おやすみなさい。
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