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R-1ぐらんぷり2015を見ながら漠然と思ったこと

おばんです。

『R-1ぐらんぷり2015』面白かったですね。コントあり物真似ありフリップ芸ありで、バラエティに富んでいてとても良かった。正直年々レベルが下がってきているように感じていたのですが、今年は全体的にハイレベルだったと思います。特にマツモトクラブさんはキャラに頼らないしっかりしたコントでとても面白かった。今回決勝に残った3人は、皆しっかりと自分の持ち味を出した上で、それがちゃんと客受けや審査員の評価に繋がっている感じで、そこがとても良かった。とか言いつつ一番爆笑したのはとにかく明るい安村さんだったりしますがw

・・・と、こういう風なことを言うと、「ド素人が分かったような顔をしてお笑いを語るな。恥ずかしい」的なことを書かれたりするわけですが。

しかし世の中のどんなジャンルであれ、専門家というのは極少数で、大半は何も知らないド素人なわけです。もちろんコンテストなどの審査員はその業界の専門家がやるべきですが、どんな業界であれ、真に相手にするべきは「何も知らない一般人」なんではないか、と思うのです。
そして、俺のような単なる1ファンにも「何かを語りたい、語ろう」という気分にさせてくれるジャンルというのは、やっぱりとても健全な気がして、ちょっと羨ましく思ったりもするのです。
短歌の場合は「作り手」と「読み手」がほぼイコールで、その小さな輪っかの内側で「面白い」「詰まらない」と言い合っているだけのように感じることがあります。もちろん専門家の意見はこの上なく大事ですが、それと同じくらい「ド素人」の発言も聞いてみたいのです。

「山本左足の短歌って面白いよね」「え~、あんなんつまんねーよ!」とか、そういう話が、普段熱心に短歌を詠んだり読んだりしない人たちの間からも聞こえてくるようになれば面白いのに、と思うのですが。
・・・まあ、現状は短歌界隈の人からもそういう話がまったく耳に入ってこないのでね。遠い遠い夢ですがね・・・。

短歌に限らず短詩形文学は、お笑いと違って「分からない」と言われることが多い。そこに取っ付き難さを感じる読者は多いでしょうし、逆に「これはお前らには分からない高尚なものなのだ!」と選民意識に浸る作り手もいるのかもしれません。それはちょっと残念だなあ、と思うのです。

お笑いでも、例えば昔よゐこがやっていた頭にタクアンを乗せるコントとか、最近だと「ラッスンゴレライ」とか、ああいう「日常とかけ離れたもの。意味が分からない物事や言葉」だけどそれが「面白い」というのは普通に成立するわけです。「分からない」イコール「詰まらない」ではない。当たり前のことですが、これは今後も繰り返し言っていきたい事です。あとあまり関係ないですが「泣けるからって良い映画とは限らない」というのも、ずっと言っていきたい。何かっていうとすぐ「泣ける?」って聞くの止めろ。

は、さておき。

短歌の世界でも「(俺には)よく分からないけど面白い」という作品はたくさんあるわけですが、それら作品の発表媒体が短歌雑誌や結社誌、同人誌といったものに限定されてしまうと、結局輪っかの内側でしか流通しない。そのことに若干の不満があるのです。
もちろん、これまで多くの先人が短歌の普及に努めてきた、その結果の現在なわけですが。でも「この程度の人数が限界。所詮マイノリティの趣味」とは思いたくなくて。もっと読者人口を増やせるはず、と信じているのです。どうすればいいかは見当もつきませんが・・・。

だいたい、韻文を必要以上に「難解だ」と思っている人が多いことにも違和感があるのです。どうも、散文を読むのと同じ要領で韻文を読もうとしている感じ。両者は、すごく極端に言えば漫才と落語くらいの違いがあるのに、漫才しか知らない人が落語を見ながら「意味が分からない」と言っている感じ、というか。違うか。ある程度慣れ親しんでくれば両方楽しめてお得なのに、と思ってしまうのですね。

まああれこれグダグダ言ってきましたが、実際問題、短詩形文学にとっての最大の敵は「無理解」ではなく「無関心」なわけで。「分からない」どころか「知らない」という段階で止まっている人たちの心臓に三十一文字を突き刺してやる方法を考えねばなりません。って、結局良い短歌を作れという話でしかないような気もしますがw

まあ、そんなこんなで寝ますわ。結論?何それ食えんの? まあ、お互い頑張ろーぜ!ってことで。
おやすみなさい。
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