スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

二つの甲子園と2015年の夏について(その1)

おばんです。山本左足です。

8月も残りわずか。めっきり涼しくなりましたね。俺は昨夜ついに毛布を引っ張り出してきてしまいました。いつもは「嫌だ!まだ夏なんだー!!」と言い張りながらガマンするのですが。寄る年波には勝てませんな。

さて、今回は甲子園の話。

1915年の第一回大会から100年目の節目となった今年の全国高校野球選手権。世間的には早稲田実業の清宮君が話題でしたが、俺的にはとりあえず、ちょうど開幕した8月6日に今年何通目かもう覚えていない不採用通知を受け取りまして、どよ~んとした気分で飲んだくれる日々が続いていたので、早実の試合はほとんど見ておりません。だって毎回早朝の第一試合なんだもの。

高校生はこんな朝っぱらから全力で野球なんかやってスゲーなあ、と思いつつ、テーブルの上に日々増えてゆく酒瓶の列を眺めて、溜め息をつきながら布団に入る。そんな毎日。

とにかく暑かった。俺の部屋は日当たりがあまり良くないのと風が結構入るのとで、夏は比較的涼しいのですが、今年はかなり暑かった気がします。毛布が恋しい今となってはそれすら懐かしいですが。高校生はこんな暑っついなか良く野球なんか出来るなあ、と・・・。

まあそれはさておき。今年は清宮幸太郎をはじめ小笠原慎之介、オコエ瑠偉、平澤大河らタレント揃いで面白い大会でしたね。高校野球百年の節目に相応しい良い大会だったんじゃないでしょうか。よくわからんけど。
そういえば、大阪では初戦(二回戦)で優勝候補の大阪桐蔭と履正社がいきなり当たって、地方球場に観客が詰め掛けて大渋滞になったとか、TOKYO MXで放送していた西東京大会が夕方5時で終了したせいで、ちょうどその時間に試合していた早稲田実業対八王子の試合が中途半端になってしまい「清宮見せろ!」とツイッターが炎上したとか(笑)、地方大会からいろいろ話題に事欠かない今年の大会でありました。

俺は岩手県民なので岩手代表や東北の代表校を毎年応援するのですが、残念ながら今年も優勝旗には届かず。しかし準優勝した仙台育英はもちろん、東北六県のうち五県の代表校が初戦突破の活躍(福島聖光は優勝した東海大相模と当たったのが不運だった)。近いうちに必ず優勝するだろうと信じたい。信じてる。

あと、俺も近いうちに就職できると信じたい。誰か仕事くれ。

そういえば、今年は数年ぶりに帰省して墓参りに行ってまいりました。
墓なんてもんは別に単なるモニュメントで、特に意味の無いシロモノ、と思っている不信心者の俺ですが、神棚も仏壇も無い部屋に暮らしていると、手を合わせて何かを拝むなんてことは日々まったくやらなくなるわけで。たまにゆっくり心を落ち着けて今は亡き祖父母や親戚のことを思い出したりするのも悪くない、とは思いました。まあ雨が降ってたんで、あまりゆっくりもしませんでしたが・・・。

えーと、本当はここからもう一つの甲子園の話を書こうと思っていたのですが、長くなっちゃったんでまた明日書きます。どっちかというと野球の話は単なるマクラで、短歌甲子園の話を中心に書くつもりだったのですが。計画性の無いのが俺の悪いところでもあり、サービス精神が迸って余計なことまで書いちゃうところが憎めないチャームポイントでもあり、そんな自分がたまらなく愛おしかったり。たまに殺したかったり。
内容の無い文章を延々と書く能力だけは他人に遅れをとらないと自負しているのですが、就職に役に立たないんだよお。

まあ、いいや。

短歌甲子園の話は今夜にでも書こうと思います。仕事ください。無理ならお金だけでもいいのでください。いやまあ気にしないでください。おやすみなさい。

「食」にまつわるあれこれ

おばんです。

長らくご無沙汰しております、山本左足です。

ブログをお休みしてからというもの、精神的・金銭的に非常に追い詰められた状態で、一時期どん底まで落ちぶれましたが今は若干回復してます。とはいえ状況そのものが改善したわけではないので、まあ、一進一退ですが。頑張れ俺。

さて、そんな中、明け方に酔いどれて、Twitterに「なんかテーマをくれたらブログ書く」的なことを呟いたところ(本人泥酔していてその前後の記憶が無い・・・)、フォロワーさんから「食べるというテーマで何か」というリクエストを頂いたので、久々に何かしら書いてみようと思います。

短く簡潔に、というのが苦手なので、思いついたことをだらだらと書こうと思います。

えーと・・・、夏ですね。
夏と言えば夏野菜。皆さんは何が好きですか。俺はトマトが好きです。
実家は農業をやっていて、メインは米なのですが、他に小さな畑もあって、小規模ながら様々な野菜を作ってました。夏野菜ならトマトのほかにナスやキュウリ、とうもろこしにかぼちゃなど。西瓜も何個か。いずれも家族で食べる分くらいですが。他にはニンジンやジャガイモ、大根なんかも作ってましたね。
ちなみに最近父の趣味(?)で肉牛の飼育も始めたらしく、何なら自給自足できそうな勢いの我が実家。
子どもの頃はトイレが汲み取り式だったので、肥料も自家製でしたね・・・w

さて、そんな恵まれた環境にあっても、好き嫌いは如何ともし難いものです。俺は体質的にアレルギーなども無く、食べられないものもほとんど無いのですが、ただ一つ、キュウリだけはどうしても食べられません。単純に味が嫌い(全国のキュウリファンの皆さんごめんなさい)。それが母には理解できないらしく、学生の頃、何度言っても仕送りにキュウリを混ぜてくるのには正直うんざりしておりました。折角送ってくれたのに、食わずに捨てていたのだよ。済まぬ。

ところで、一人暮らしが長くなって、大抵の料理は自分で作れるようになりましたが、その切っ掛けのひとつはキュウリが食べられない、ということだったりもします。ポテトサラダとか、キュウリさえ入ってなければ大好物なので。そういう意味では好き嫌いがあるのも悪くない・・・ことはないですね、やっぱり。何でも食わなアカンよ。

好き嫌いは別として、信仰や信条で特定の食べ物を口にしない、という人も居ますね。
肉や野菜を食べない所謂「菜食主義者」は、俺の子どもの頃は全部一括りで「ベジタリアン」と言っていたものですが、最近では様々に細分化されているようです→ベジタリアニズム
いろいろありますね。考え方はひとそれぞれ。個人的には、動物性のものをまったく口にしないというのもあまり健康に良くないんじゃないかと思うのですが・・・。

そもそも、野菜が獲れないようなところに暮らしている人たちも居て、そういうところでは、狩りをした獲物の生肉を食ってビタミンを補給していたらしいです。アザラシの腹の中に海鳥を詰めて作る発酵食品「キビヤック」なども有名ですね。食べるときは排出口(おしり?)に口を付けて発酵した中身を啜るとか・・・。勇気が要る。
そういえば、かつてシベリア大森林を横断して一大帝国を築いたロシア人たちは、本国からの補給の困難さ故に野菜や果物を口にすることが出来ず壊血病に罹るひとが多かったとか。ヨーロッパ人である彼らには生肉を食う文化が無かったのですね。全部焼いて食っちゃったからビタミン不足になった、と、昔何かで読んだ記憶が・・・(たぶん司馬遼太郎の書いた何かだったと思います。曖昧で申し訳ないw)

そんなこんなで、食文化というのも生活環境に左右されるものだから、一概に「動物を殺して食べるなんて野蛮!」というような、一部動物愛護団体の主張なんかは正直的外れだと俺は思います(まあ最近はかなり大人しくなってるようですが)。もちろん絶滅危惧種なんかは食べちゃいけない。それは当然として、例えば「可愛いから食べちゃダメ」とか「賢いからダメ」なんていうのはそれこそ差別的だと思う。ブサイクでバカなら食べ尽くしてもいいのか?・・・って言いたくなるんですよね、捻くれ者なんでw

獲りすぎなければ何を食ってもいいと個人的には思います。犬でもクジラでも昆虫でも。俺は愛犬家ですが、機会があれば犬肉は食べてみたいですね。クジラは昔給食で食べました(最後(?)のクジラ世代)。昆虫は、と考えて思い出しましたが、小学生の頃、田んぼでイナゴを捕まえて、その日のうちに佃煮にして食べましたね。取れたてのイナゴの味は格別・・・だったかどうか、定かではありませんが(佃煮はある程度寝かしたほうがいい気もする。何となくですが)。
しかし、考えてみると当時はヘリコプターで農薬散布なんかやったりしてたわけで(今もかな?)、衛生面ではちょっと問題ありな気もしますね・・・w

なんか思った以上にだらだらしてきましたがw とりあえずの結論としては、
食うために動植物を殺すのは仕方が無い。
どうせ食うなら出来るだけ美味しく頂きたい。
好き嫌いはなるべくしないようにしたい。
食わない動物の命はいたずらに弄ばないようにしたい。

と、まあ、そういう感じですね。

このブログは一応短歌のブログなので、ちょっと書いたら短歌の紹介に移る予定だったのですが、長くなってしまったのでまたそのうちにw

生きていたらまた会おう!

噂では明日世界が終わるらしい 早く食わなきゃカレーの残り

・・・今度はもうちょっと短いスパンで更新できればいいなあ、と思っておりますです。おやすみなさい。

無題

おばんです。

一身上の都合でしばらく更新をサボり気味の山本左足です。
どうも春から収入が激減する見込みで、再就職先が見つからなければ夏までに餓死、という感じになってきました。ウケる。

しばらく生活も精神も不安定極まりなくなりそうなので、ブログの更新もまだしばらくはしない、というか出来なそうです。そうは言いつつやるかもしれませんが。多分しない。しないと思う。しないんじゃないかなあ。まあちょいと覚悟はしておけ。

毎年10枚くらい履歴書を書いて、それがすべて紙くずになった実績から考えると、夏までにってのは相当ハードルが高い。が、何とかしないとリアルにこの世から早退するはめになりそうなんで、まあ、何とかしますw

不思議と短歌はぽつぽつ出来る。追い詰められて脳が活性化しているのかしら。今さらって感じではありますが。もっと金になる能力がほしかった・・・。

起承転転転々々てんてんと足跡だけが続く雪原

そんなわけで、また、そのうちに。おやすみなさい。

これが山本左足の最期の言葉だった・・・、なんてことにならないよう頑張ります。では、また。

映画『そこのみにて光輝く』の感想

おばんです。

今日は映画の感想。といっても既にツタヤで一週間レンタルになっていたものなので、半端じゃない今さら感ですが。しかも気づいたらキネマ旬報の年間ベスト1にもなったそうで、いよいよもうこんなところで俺が語るようなことは何も残って無いんですがw まあ、心に響いちゃったので。

舞台は90年代(と明言されてないですが、原作だとそうらしい)の函館。安アパートで一人暮らしの訳あり無職・佐藤達夫(綾野剛)は、パチンコ屋でやたら人懐こい若者・大城拓児(菅田将暉)と出会う。拓児に「飯食わしてやる」と誘われてついて行くと、行き着いたのは海辺に建つぼろぼろのバラック小屋。達夫はそこで拓児の姉・千夏(池脇千鶴)と出会い、やがてお互いに惹かれ合っていくのだが・・・、と、出だしはこのような内容。

まず、拓児と千夏の家庭環境がもう絵に描いたような極貧。脳梗塞で倒れて以来寝たきりの父、その看病に疲れ果てて無気力無感動の置物みたいになっちゃってる母。喧嘩で刑務所に入っていた拓児は現在仮出所中の身で、一家の支えである千夏は週三日の工場勤務だけでは生計をたてることが出来ず、場末のスナックで体を売るようなことまでしている。
その金額が一回(?)8,000円!というのにちょっと驚いたんだけど、よく考えたら相場が分からないんで何とも。いくら何でも安すぎると思うのだが。しかしまあ何と言うか、千夏の境遇は江戸時代の遊女(いやそれよりも宿場町に居た飯盛り女か)のようでもあり物悲しい。しかもその現場を達夫に見られてしまったりするのだから、もう・・・。

一方主役の達夫はというと、かつて仕事中の不手際で同僚を死なせてしまい、その自責の念から自暴自棄になってしまっているやさぐれ男なのだが、若干悲劇の主人公ぶってる感じもなくはない。そんな達夫が、自分より悲惨な境遇の姉弟と知り合い、ふたりの為に何かをしたい、という思いから過去のトラウマを克服していく、というのが達夫の側のストーリーなのだが、正直、千夏と拓児のストーリーのほうがメインになっている感は否めない(とはいえそれは物語が要請する必然でもあると思う。後述)。

いやもう、とにかくメインキャストの3人が素晴らしいのですよ。特に池脇千鶴はもはや神々しくさえある。単に演技力があるとかいうレベルではなく、仕草や表情、果ては身体つきまでも(まあこれは偶然の産物かもしれないがw)千夏というキャラクタと完璧に一体化している。『ジョゼと虎と魚たち』が女優池脇千鶴の完成形かと思っていたが、まだ先があったかと。凄い。
綾野剛の場合は「当たり役」というべきかもしれない。正直演技力は今ひとつという気もしなくもないが(ファンの人済みません・・・)、不器用そうな感じ、所在無げなたたずまい、ぶっきらぼうなセリフ回しなどが、奇しくも達夫という人物を演じるのにこの上なく嵌まっているのだ。
そして菅田将暉。馬鹿でいい加減でやんちゃだけど憎めない拓児を好演している。正直名前ぐらいしか知らなかったのですが、近作でファンになりました。良い。
あと一人、造園会社の社長を演じた高橋和也も挙げておきたい。妻子持ちでありながら千夏と不倫関係を続けるゲスな男を演じているのだが、これがもう本当に名演。ちょっとしたセリフや仕草が妙にリアルで、(ああ、こういう奴いるよなあ)という感じ。出てくるだけで厭な気分になる(褒め言葉)。自分の性器に唾を付けてレイプ同然に千夏を犯すシーンとか、もう最高にゲス。ゲスの極m・・・言わねーよ。何気にストーリーの中でも重要な役割を果たす人物。

性器云々の話が出たのでついでに言っておきますが、全編に渡って性描写が頻出します。特に寝たきりの父親の性処理を娘の千夏が行うシーンとか、直接的なカットは少ないもののなかなかエグいです。そこは注意が必要。家族そろって見るような映画ではないです(言うまでもないことですがw)

さて。以下は物語の直接的な内容からはちょっと離れるかもしれない、感覚的な感想(とか言いつつ結構ネタバレしてますw ご注意ください。映画を見てから読むのを推奨)。

物語の舞台は函館市となっているが、実際は、それよりもっと寂れた、どこか、この世の果てのような海辺の田舎町、という雰囲気がある。真夏なのに紫陽花が咲いていたりする描写も、どこかファンタジーを感じさせる。そしてこの町では時間が止まっている。永遠に続く夏、永遠に続く日常。地獄のような、この世の果て。
この映画の真の主役は、実は、この「町」そのものではないか。
千夏は、町に呪縛されている。寝たきりの父、無気力な母、仮釈放中の弟。彼女には彼らを見捨てることが出来ない。
高橋演じる造園会社社長・中島はこの町の顔役であり、町そのものの象徴のような存在である。当然、千夏は中島からも逃げられない。未来を諦め、夢を捨てて、時間の止まった町の中に己のすべてを埋没させようとしている。

達夫は町の外からやってきた「よそ者」である。彼は町のルールに囚われない。千夏に夢を与え、中島に歯向かい、拓児を山へ(町の外へ)連れていくと約束する。達夫のストーリーがこの映画の本筋にならないのは必然である。彼はこの世界における「招かれざる客人」だからだ。主人公というよりも、トリックスター的な役回りなのだ。

達夫の目は過去だけを見ている。千夏は時が止まったまま現在に埋没している。その二人が出会うことで、はじめてお互いの「未来」に目を向けることになる。

もう一人、達夫や千夏よりももっと無邪気に自分の未来を夢見ている男がいる。拓児である。登場人物の中でただひとり、彼だけは、自分の都合ではなく常に他人のために行動している。家族のため、友人のため、そして中島のためにも。はじめ、彼は中島の部下として、「町」に奉仕する者として登場する。しかし徐々に立場を変え、達夫と中島を引き合わせて以降は、町の象徴である中島の元を離れ、よそ者の達夫と接近していく。彼の行動は町に変化をもたらし、それが、やがて夏祭りの悲劇へと繋がっていく。彼が仮釈放中の身であることは偶然ではない。彼もまた「よそ者」なのだ。

自分と家族の明るい未来を無邪気に夢見る拓児もまた、町のルールの外側にいる(トリックスターという意味では、むしろ彼のほうがその称号に相応しいのかもしれない)。彼が中島をアイスピックで襲うのも、そしてそれが夏祭りの夜であるのも、もちろん偶然ではない。彼のその行動によって、止まっていた時計はまた動き出し、そして、夏が終わる。よそ者の一人である拓児はまた他所へと姿を消す(自首しに行くときの軽やかなステップは印象的である)。残された達夫と千夏に「未来」を託して。海辺にたたずむ二人を朝日が照らすラストシーンは、本当に美しい。タイトルの示す「そこ」とは、「町」のことでもあり底辺の「底」でもあると思うのだが、何よりもあの場面、あの一瞬を指し示す言葉なのだろう、と、そう思った。

義理チョコ撲滅推進評議会会長就任演説(草案)

おばんです。

映画を見てたらすっかり朝になってしまったので今日は短く。

バレンタインデーですね。
チョコをもらえる人にももらえない人にも、渡す人にも渡せない人にも幸あれ。
しかしね。そろそろ「義理チョコ」などという悪しき風習は止めにしないかね。
男性からしてみても、別に本命チョコが一個もらえればそれで充分なんですよ。どうでもいい人からどうでもいい感じでチョコをもらっても、それはもうどうでもいい。ホワイトデーのお返しも面倒くさい。
女性にしても余計な散財でしょう。義理チョコを10個配るくらいなら本命に10倍かけたほうがよろしい。

「そうは言っても、もう用意しちゃったし・・・」という人は俺にくれるといい。チョコ大好き。俺は義理チョコは否定しても人情チョコは否定しない。俺に対して何の義理も無いあなた方が俺にくれる分にはすべて「人情チョコ」としてありがたく頂戴しますけれども。義理と人情を量りにかけて、人情のほうが重たいことがあったっていいじゃない!

冗談はさておき。バレンタインデーが女性から男性への告白の日だというのなら、いたずらに義理チョコなどばら撒かずに本命に集中してほしいなあ、と思うのでした。
何はともあれハッピーなバレンタインでありますように。

坂道を「チヨコレイト!」で駆け上がる君の向かってゆく先に、春

渡す相手がいないというなら俺に渡すといいよ。おやすみなさい。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。